色んな意味で

父を越えたいと思ったことはありません。

父を越えられると思ったこともありません。



だけど
父を越えようという気を少しでも持っていないと、父に失礼なのかもしれません。






お父さん

あなたの背中は今でも大きく、広く、高く、立ちはだかっています。



あなたの息子は、そんな背中を見て育ちました。

2007.6.17.大畑 理博
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みなさんこんばんは
今日5月31日は甥の理生の1歳の誕生日です。

スクスクと真っ直ぐに成長してほしいなと思っています。
名前の通り「理」(一筋に何かを極めおさめる)のように「生」を送ってほしいと願うばかりです。

東京から富山に向けて・・・
お誕生日おめでとうっ!!!



オジ馬鹿日記でした。

2007.5.31.大畑 理博
みなさんこんにちは。
爽やかな風が吹きすぎて行きます。



今日は母の日ですね。
バタバタしていてすっかりそんなことも忘れていました。



「母」って皆さんにとってどんな存在ですか?
色々考えましたが、結局言葉では表すことの出来ないものだと言うことがわかりました。

色々思い出とかエピソードとか書こうと思いましたが「偉大」とか「強さ」とか安易な言葉しか出てこないのでやめます。



変わりに僕の言葉ではなく、歌曲にもなっている竹久夢二と大木惇夫の詩と載せておきます。



「母」竹久夢二

ふるさとの 山のあけくれ
みどりのかどに たちぬれて
いつまでも われまちたまう
母はかなしも

幾山河とおくさかりぬ
ふるさとの みどりのかどに
いまもなお われまつらむか
母は遠しも



「母のこゑ」大木惇夫

夜風に
葦がそよぐよ
よしきりがなくよ
故郷は遠いに
お母さまの
声もするよ



2007.5.13.大畑 理博
昨日、家に帰ってきたら郵便局からの不在連絡票が届いてました。
差出人は「おおはたまい様」と書かれており、姪の舞衣からでした。
夜遅かったのと、横殴りの雨が降っていた為、郵便局には取りに行けませんでしたので、午前中に届けてもらうように手配いたしました。

中には、アンパンマンの缶が出てきて、その中にはクッキーが入ってました。
お手紙も付いていて、「遅くなったけど・・・。」って誕生日プレゼントのようでした。
それでどうやら手作りのクッキーだったようです。
しかも昨日は偶然にもヴァレンタインデー。
タイミングがいいですよね。

おじさんとしては嬉しい限り。
なんだかもったいない感じがして飾っておきたかったけど、食べたほうがと思い食べました。
っというか一気に食べました 笑

おいしかったなぁ~(*^_^*)  ←オジバカ丸出しですみません。

なんだか子どもはあっという間にどんどん大きくなっていきます。
帰るたびに成長している子どもたち。
姪は今年の4月から小学校に通うようになります。
僕と同じく2月生まれの甥も3日で2歳になりました。
この間、実家から電話があったとき、たどたどしいながらも単語と単語をくっつけて簡単な文章を話してました。



まぁよく考えたら僕もそれだけ年を重ねたのですね・・・。



2007.2.15.大畑 理博20070405014250.jpg

東京での昨日からの秋雨はとても冷たく、僕にかわって溢れ出す涙のようでした。。。

先月、やっと懇願していたことが叶って出来た祖父の前での演奏。
しかし、もう出来なくなってしまいました。
本当にあれが、僕にとって祖父の前で歌った最初で最後の歌。
涙をこらえて歌った歌。




もう聴いてもらえないのですね・・・。




もし出来るなら、もう一度来世でもあなたの孫でいさせてください。
安らかに・・・。





あなたのその美しい鼓動を分けて下さい
あなたはもう帰らない昨日を翼にして生まれ変われる
・・・
あなたのその美しい勇気を分けて下さい
倒れそうで怖いから昨日を翼にして生まれ変わりたい

Border by 浜田麻里



2006.9.27.大畑 理博
富山の今日は、陽射しはかなり強いですが、日陰に入ると涼しい風が心地いいです。
気が付いたら立秋を過ぎているんですよね・・・。

昨日、前々から懇願していたことがやっと叶いました。

以前のdiaryにも書きましたが、母方の祖父が入院しておりまして、帰省する度に段々弱くなっていくのがわかっていました。先月まで普通に会話出来たのに、昨日行った時には、口の周りの筋肉も衰え、発音することが難しくなってきていました。

「歌うこと」を志したころには父方の祖父は他界しており、応援してくれる母方の祖父には是非歌を聴いてもらいたかったのです。
ずっと母にはその旨を伝えており、3月に一度、僕が祖父の入院先である病院に、ボランティアで歌わせてもらうことが出来ないか、電話でアポイントをとったことがあるのですが、その時は残念ながら断られてしまいました。
しかし、それを見ていた母が打診してくれ、急遽病院内のレストランをお借りし、ミニコンサートを開かせてもらえることになったのです。


「歌うこと」が出来ると聞いた時は本当に嬉しかったです。

プログラムは地元富山県民謡の「こきりこ」、「浜辺の歌」「夏の思い出」「我は海の子」など夏や海をテーマにしたもの。後半は「青い山脈」「上を向いて歩こう」、また季節柄「さとうきび畑」、「涙そうそう」などでした。

最後に僕が大好きな美空ひばり「愛燦々」を歌いました。

前奏が始まるとふと思ったことがあります。
『やっとじいちゃんの前で歌えた』と同時に『これが最初で最後になるのかもしれない』。
実現出来た嬉しい想いとなんだか淋しい想いが重なり混ざり、とても複雑な思いで感情が溢れそうで一杯になりました。
あんなに涙をこらえ、声が震えないようにしながら歌ったことはこれまでにないかもしれません。
他にも患者さんや先生、看護士さん、スタッフの方がいらっしゃいましたし、演奏している以上、僕が止まるわけにはいかないのです…。

演奏後、もう一度病室に戻った祖父に会いに行きました。僕に声にはならないけど真っ直ぐな目で話してくれました。内容はもちろん聞き取れません。それでも何か祖父が言いたいことを感じました。

家に帰ってきてから、僕はシャワーを浴びてる時にひとしきり泣きました。



このミニコンサートに協力してくださった病院をはじめ担当の医師、看護士のみなさん,そして企画に賛同し場所を提供してくださった病院内のレストランの担当の方。また、忙しい中、遠いところから来てくれたピアニスト。そして、この企画を打診し、進めてくれた母に心より感謝致します。

2006.8.11.大畑 理博
ちょっと近所を散歩しただけでも、色んな花々が咲いてます。
桜だけではありません。
色んな花が咲いています。

ずーっと書くことを迷っていました。
でもやっぱり書くことにしました。
おそらくキーを打つたびに感情剥き出しに涙がこぼれると思います。

僕に関わらず、みなさんにはおじいさんが2人いらっしゃると思います。
僕にももちろん2人います。

父方の祖父は僕が中学3年の秋天気のいい日の午前に亡くなりました。
僕に、はかりしれない色んなものを残して。
祖父はどんな顔をして亡くなったのかは知りません。でも穏やかだったんだと思います。
とても厳しいじいちゃんでした。でも今から思えば温かかった。スーパーマンのような人でした。大きな体で大きな手。大きな声。
本当に僕が思い出せるのは「大きな人」ということだけです。
僕には多くを語らず見守ってくれていました。つらかっただろう戦争のことも多くを語らず。。。
亡くなる前まだ少し意識がはっきりしていたころ、病院から一時だけ実家に退院してきました。
その時じいちゃんは寝ようとした僕にこんなことを言いました。

「ひろ。なんかやりたいこと見つけたら何も気にせんと好きなだけやらんとダメなんぞ。絶対逃げたらダメなんぞ。」

その時は全然わかりませんでした。
でも今になってそれがありありとわかる気がするのです。
突っ走ってきたけど、どこかで逃げてきた自分に。
何故か帰省するたびにお墓参りに行きたくなるのです。じいちゃんにお礼言いたいんです。
それとお詫びも。。。最期近くにじいちゃんの病室に行くと管だらけの体でか細く「おう、ヒロか。」と。それが僕への最期の言葉です。でもどうしても見てられなくてすぐに病室から出てしまいました。あの時もう少し一緒にいられたらと未だに後悔しています。

残念ながらじいちゃんと一緒に写っている写真はこれぐらいでした。
でもすごい温かい笑顔で大きい手で抱いてくれています。



母方の祖父はまだまだ元気です。病院で療養中ですが。
この間、慰問演奏の帰省の際に会って来ました。っというかどうしても会いたかったのです。
父方の祖父とは違った意味で大きな人です。
体は大きくありません。でも僕にとって大きな人なのです。
同じ富山県内にいながら、会いに行くとすればお正月とお盆ぐらいでした。
今でこそ僕のじいちゃんの感覚ですが、当時高校生ぐらいまでは、一緒に住んでいないというのが大きいでしょうか、なんだか面と向かうと恥ずかしくて・・・。

この日記を書くか迷ったのは、このじいちゃんにあったときのことを書くことにどうも心に引っかかるものがありまして・・・。

病院に行くと、じいちゃんとばあちゃんは寄り添いながらテレビを見ていました。
声をかけると嬉しそうな顔で手をあげてくれました。
どうやら点滴をしていて辛そうですが、自力で体を起こしてくれました。
慰問演奏のこと、最近の報告などしました。
プレゼントに地元紙に載ったののコピーと上野の桜を携帯で撮ったもののプリントアウトしたものを。
すぐ疲れるようで、一通り終わったらまた横になりました。
僕はこのじいちゃんと会話が無くてもいいのです。その雰囲気が落ち着くのです。
正味どのくらいいたかわかりませんが、ばあちゃんと話したり、僕はただ座りお見舞いに来たおばさんやお客さんと話しをしたりしていました。
その後母親を駅まで迎えに行くのも忘れて。。。
しかし時計を見るとあっという間の時間は過ぎ、帰らないといけない時間でした。
祖父にそのことを告げると、本当に驚くほど硬く握手をして、

「そうか気を付けて帰らっしゃい。エラくなったらあかんがんぞ。ボランティアの心やぞ。それから、桜の写真はいらん。お前の顔見せてくれぇや。」

このときの強く握り締めてくれた手にすごいメッセージを感じました。
こちらは泣きそうで。。。でもこらえて。。。

「またくっちゃ」

と帰ってきました。
でもやっぱり涙腺の弱い僕は病室から出て、エレベーターの中から号泣。
人目をはばからず泣きながら車に乗りました。
母を迎えに行くはずがあまりの号泣に、途中車を止めたりして遅刻してしまいました。
やっぱり温かいじいちゃんです。僕には偉大なじいちゃんです。
もっと話したいし、もっと時間を共有したいです。


じいちゃんの前で歌ったことはありません。
父方の祖父は、墓前で歌ったりします。
でも母方の祖父の前では歌ったことはありません。
どうしても歌いたい。なんとかして・・・。
機会を模索中です。


かなり私事の強い内容のものになってしまいまして失礼致しました。
僕にはここでこうやって書くことによって、少しだけ癒されているような気がします。

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