3年 

今日は父の3回目の命日


去年も同じこと思ったけれど“もう”のような“まだ”のような。。。
まだ一度も夢に出て来てはくれていません

父はお酒の飲めない人だったからもし一緒にこの時間に飲むとしても
僕は酒(ビール→ワイン)
父は炭酸飲料(サイダーとコーラ大好き、続いてファンタ、ラムネ、ジンジャエールかな…)
だったんだと思います

でも父は裂きイカとかのスナック系酒のつまみが大好きでした

っということで
コーラとビールで乾杯しつつ、買ってもらったピアノに触りながら父とのことを思い出すことにします

まずピアノで弾く曲は最後に聴いてもらった坂本龍一の「aqua」かな





2017.7.22.大畑 理博
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父が亡くなってちょうど1年かぁ・・・
本当に早かった・・・

聞いたこと無い難病と
余命の年数を言われたとき
どこにも心の行き場所を見出だせず
その難病についてやたらと調べたり
僕が出来そうなリハビリの為の言語聴覚士の本を読み漁ったり
いきなり稚拙な短歌みたいなものを詠み始めたり
(画像はその一部をプリントしたものです)
本当に足掻いたな


それからあっという間に宣告通り逝ってしまった


何時かはとは言い聞かせていたけれど
それでも心の行き場所、拠り所はまだ見当たらず…


来年7月にこの数年の色んな気持ちを丸々っと
僕の一番の表現方法の“うた”に託そうと思い立ち
地元の富山でソングリサイタルをやります



―1年経ってもなお―
365日の時経てど お父さんと呼びたい、会いたい



2015.7.22.大畑 理博
明日からまた、普通に…とまでいくのかはわかりませんが、仕事に復帰します。
この一週間の何もかもが激動過ぎて、感情も何もかもがグチャグチャになっております。
未だ実感が湧かないままでいるのも確かで、フワフワと宙を浮いているような感じです。
いつ実感というものが如実にやって来るのか、そしてその心がしっかりと整理されるのか、東京と富山との距離を行ったり来たりしている僕は蜉蝣するばかりです。



(遺影にも使われた初孫を抱く父)


通夜、葬儀、初七日法要と恙無く終えるとができました。
それは時間がきて執り行われる儀式であって、ポッカリと空いた僕の心に何かを投じてくれるものではありません。
ただただ浮遊の一期を考えさせられるばかりです。



父に最後に聞いてもらった生声での歌はBank Bandの「to U」です。

愛 愛 本当の意味は分からない
愛 愛 だけど強くて

雨の匂いも 風の匂いも
あの頃とは違ってるけど
この胸に住むあなたは
今でも教えてくれる
悲しい昨日が 涙の向こうで
いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ
(to U/櫻井和寿)

この曲が最後になるとは思いもしませんでした。
頑張って我慢して、そして慌てるように逝ったように感じた父ですが、本当の愛を知られたのでしょうか。



悔いの無いようにと御住職が気を遣ってくださり、葬儀の際に弔意を込めた時間を下さいました。
富山に帰ってから時間のあるごとに耳元で歌い続けました。
そして母と色々相談して葬儀には最期に聞いて貰いたかった2曲の一部を歌いました。


はじめに美空ひばりさんがお歌いになっていた
「愛燦々」

愛 燦々と この身に降って
心秘そかな嬉し涙を 流したりして
人はかわいい かわいいものですね

ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね

ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って 嬉しいものですね
(愛燦燦 /小椋佳)



そして初めてリリースしたCDの最後のトラックに入れた福山雅治さんの
「道標」

わたしは この手が好きです
ほら あなたによく似ている
わたしたちを育て旅立っていった
あなたの その手が好きです
(道標/福山雅治)


歌っている時は全く感極まることも涙を流すこともなく、不思議なほどしっかりと歌えたのは父のおかげでしょうか。
ただ、話そうとすると声が震えてしまい全然ダメなのですが。


(若きころの父)


(父に抱っこされる幼き僕)


(小学の運動会で父を背負う僕)



いつまでも居てくれると思っていたのも良く無いことなのですが、頭を切り替えるまでにもう少し時間がかかることでしょう。

これも思い出になるまでどのぐらいの時間がかかるのでしょうね。

お父さん



2014.7.28.大畑 理博
昨晩、父が急逝いたしました
享年67歳

先週には電話越しに話したというのに。。。
最後に交わした言葉は、お盆に帰省することへの
「待っとるよ」
でした。

こんな形で待たれるとは思いもしなかった。。。
父の元へ向かう電車の中で何の実感もなく、ただこの記事を書いています。
実感が湧いたら書けそうも無いので、ひたすらに記します。

貴方は立派な方でした。
息子の僕が言うのもおかしいかもしれないけれど。
本当に立派でした。
僕は貴方の息子として生まれてこられて本当に幸せです。

朝から晩まで仕事をし、土日には田んぼに出て米を作り、忙しくなさっていたのを子どもながら感じていました。
それでも沢山抱っこしてもらって、おんぶしてもらって、叱られて、叩かれて、慰められて、褒められて。。。

足の速いスポーツ万能な貴方は、運動会のヒーローで僕は誇らしかった。
さり気なくすっと立つその姿を見て、僕もそんな男になりたいと背伸びをした。
農作業をするその大きな手と腕はゴツゴツとしていて、なんだか憧れた。
インコの飼育や錦鯉、石楠花から囲碁、釣りからウチョウランの栽培など多趣味な貴方の大胆さと繊細さにビックリさせられた。

僕が音楽の道に進むことにはじめは反対なさった貴方。
それでもコンクールにコンサートに、大学受験までさせていただきました。

忘れもしないのが芸大の最後の合格発表の時。
貴方はたまたま東京に出張でしたね。
一緒に合格発表を見に行った時、僕が緊張しているよりももっとソワソワしているのは僕ではなく貴方。
受験番号があるのを見つけた瞬間、雲の上の存在だと思っていた大学の合格に茫然としている僕の隣で声を上げて喜び、子どもとしてではなく、はじめて男同志としての硬い握手をしたのはあれが最初で最後だったように思います。

喜怒哀楽をあまり如実には表さない人なんだと、思っていた息子は本当に喜んでいる貴方の姿を見て嬉しかったです。

想い出はキリが無いですね。

昨晩、貴方が亡くなったであろう時間に、東京の家のリビングでひっそりと一輪だけの薄ピンクの蕾を付けた花を見付けました。
「シクラメン」です。
花言葉は“キズナ”、“ハニカミ”そして“憧れ”



僕が想う貴方との関係です。
こんな暑い季節に咲いてこなくても…と思ったのですが、貴方が咲かせた蕾ですか?
気になって画像を撮りました。

もう歌声は聞いていただけないのですね。。。
貴方から僕の歌に関する感想を直接聞くことは、最後までありませんでした。
いつも目をつむって聞いていらした。
調子が悪いと途中で会場をお出になった。
それが貴方が残した僕へのメッセージだと思っております。

これまで突っ走ってこられた、67年という月日は如何でしたか?
今はどうぞゆっくりお休みください。

ありがとうございました。




2014.7.23.貴方の三番目の息子の理博より
父よ



今月11日に誕生日を迎えられ
67年という月日を生きていらしたのですね

父の日と近いからと
いつの間にか忘れておりました


僕の今の歳の時に
僕は貴方の息子として
生を受けました

今の僕の状況では考えられません
3人の子どもを持つことも
その生命を守ろうとする強い意志も


僕は貴方の息子として
大きな大きな背中を
必死に追い掛けてきたつもりでした

仕事に出掛けるときの颯爽とした背中
おんぶしてもらった温かい背中
農作業をする逞しい背中
小さな小さなウチョウランを愛でる背中
母を守ろうとする男の背中

本当に大きな背中


その背中を見ることは
もう出来なくなってしまったけれど
僕はそれでもなお
貴方の背中を追い続けています



どうしてでしょうね
お父さん



貴方の息子は
東京という遠くの地から
貴方の背中を
追い越せないとわかっていながら
ずっと見続けています





ありがとう






2014.父の日.貴方の三男 理博

母へ

母の日だからと言って
特別なことは何もしませんね

覚えていらっしゃらないかもしれないけど
東京に出て3年目
母の日に届くように
思い立って花を贈ったときに
着いたという報告と共に
こう電話で言ったんですよ

「母の日だからって何もしなくていいのよ
お母さんはね…
あなたが生きてさへいてくれれば」

どうしてあの時、あんなことを言ったのか
はっきりいって全然わからなかった
こういうことが嫌いなのかとか
安易な事ばかり考えていた

今日はその理由がわかりました
たまたま手紙を整理していたら
はっきりと書かれていました

だから「母」ではなく「博美」と
名前が書いてあるのですね




今更ながら

ごめんなさい
そして
ありがとう

もう特別な日は作りません



2014.5月吉日.貴女の三男 理博
お陰をもちまして通夜、告別式等の
一連の儀式が滞りなく済み、
これから東京に戻る車中での投稿です。



告別式の始まる前に祭壇の棺の隣で、
祖母が好きだった「月の沙漠」や
「からたちの花」を歌っていました。

そしてふと思い立ったことがありました。。。

式が始まる直前まで迷ったのですが、
10分前、斎場の責任者の方にまず確認を取り、
喪主にも誰にも相談せず、
とにかく自分が祖母に最後にしたい衝動を
住職にお話したところ、
御快諾くださいました。

最後のお別れの言葉として。
おばあちゃんの孫であったことを感謝して。

先般の投稿で画像にも載せた封筒のこと。
そして『志』と目の前で書いてくれた最後の姿。

短いけれどありったけの気持ちを詰め込んで。

挨拶の最後に『志』の言葉が入った歌を
鎮魂の気持ちも込めてうたいました。



志を果たして
いつの日にか歸らん
山は靑き故郷
水は淸き故郷



「故郷」の3番です。

祖母が亡くなったことで頭がパニックでした。
斎場に着いたら冷静で、
気持ちが落ち着いてきて、
ふと『志』の言葉が過りました。
そして「故郷」。


祖母が僕に最後に残したかった
メッセージはこれであると。


思い立ったらやらないと気が済まず、
絶対に留まることの無かった祖母。

今やらないと絶対に後悔するだけだと思い立ち、
誰にも言わずだったのであまりにもサプライズ的でした。
誰も知らずですので、
母はかなりドキドキだったようですが。

終わってからそれに関しては誰も言わず
黙認してくれたのだろうと思っています。

今の気持ちは本当に穏やかで、
やらずに後悔するよりずっと良かったんだと、
あの時行動に起こさなければ、
今頃の東京に戻る車中での気持ちは、
あまりに違っていたと思います。




画像の手は僕の左手です。
祖母は小さな頃、
この手を見て言いました。
「理博さん、マスカケやね。
大きくなられぇ。」
祖母が思っていた“大きく”は
どのようなものかはもうわかりませんが、
様々な意味を含んでいるのだろうと、
これから心に刻まなければと思います。

最後に手を題材にし、
よくうたわせていただく楽曲より。。。



わたしは その手が好きです
ただ 每日をまっすぐ生きて
わたしたちを育て旅立たせてくれた
あなたのその手が好きです

雨に打たれても土に触って
ひとつひとつ種を蒔く背中は
諦めた夢もきっとあるでしょう
だけどわたしには笑顏で…


風に吹かれ 迷いゆれて
生きるこの道
あなたの笑顏 それは道標

風に吹かれて 走っています
あなたがくれた この命の道を

わたしは この手が好きです
ほら あなたによく似ている
わたしたちを育て旅立っていった
あなたの その手が好きです
(福山雅治「道標」より)



92年。
ありがとうございました。

合掌。



2013.10.26.末孫 大畑 理博
昨夜、祖母が天への階段を昇られました。

僕に

「志」

という一文字の封筒を残して。。。





最後に会ったのは8月のお盆過ぎ。
「がんばらっしゃい」
と、
いつもなら何も書かない封筒に、祖母は間違えながら、辿々しくもしっかり「志」と書きました。
その時は珍しいなぁ・・・と思ってはいたのですが。。。

ご本人は何かを察していらしたのかもしれません。

僕が車に乗ったら、窓越しに穏やかな顔で手を振りながら
「バイバイ」
の口。

もう見れなくなっちゃった。。。



長男の末っ子。
おばあちゃん子の僕は、迷惑ばかりかけたと思います。



まだ肉体的対面はしていないので、実感が無いのです。

これから何を想うのか。。。

最期を見せてくれなかったのも祖母の優しさ。
元気に立っているのが肉体的最後の姿だったんだと思うと、祖母が僕に対する最後の優しさ。

ただ言えるのは
「強くなれ」
をこのように教えてもらった気がします。



激動の時代のなか、92年生きられた立派さ。
無償の愛に感謝。

合掌。



2013.10.24.大畑 理博
所用で帰省しています。
父は6月生まれ。
そんな今日は父の日です。



これを書いている隣で、父は不自由そうながらも、安らかに眠っています。

こんな姿を見ることになるとは、つい1年前は想像もしていなかった。

田んぼを走り回り、孫たちに囲まれ、一緒になって動いていた姿からは。。。



僕はまだ、父のそれを頭ではわかっていても、受け入れられていないのかもしれない。



僕は三男だからか、それとも父が許さなかったのか、こうして二人の無言の会話をしたことがありませんでした。
父の寝顔を見たことがありませんでした。

でも嬉しいことがあります。
あなたの顔を見ていると、いつかどこかで鏡で見た気がする。
どうやら僕の顔はあなたに少しだけ似ているようです。
違うと思っていたけれど、どこかしら似ている。

それが嬉しくてこうやって書いています。



ご自身もこのようになるとは、思っていらっしゃらなかったでしょう。
それは一番下の息子、東京で好きなことをして、たまに富山に帰ってきて、それでも変わらずに迎えてくれると思っていた僕が、一番考えてもみなかった。



無償の愛をもらい、親孝行は思ってするものではないとわかっていても、何か出来ないかと思ってしまう。

何も出来ない。
これが息子ですかね。



2013.6.父の日.大畑 理博
「母」という存在とは
何なのか。。。

改めて30過ぎて考えても
なんだか大き過ぎて
文章にはしにくいらしい

けれども
彼女の小さな体から
産まれ育ち思い
こうやって文章を書いている

これが事実で
「母」という存在の
一つなのかもと
思う



人の言葉をお借りして。。。



昼の月 坂村真民

昼の月を見ると
母を思う
こちらが忘れていても
ちゃんと見守っていて下さる
母を思う
かすかであるがゆえに
かえって心にしみる
昼の月よ



2013.母の日 大畑 理博


このお茶は、僕にとっての特別なお茶です。
精神安定剤であり、元気になる薬です。
実家に帰ったときに、必ず祖母が煎れてくれます。

「耄碌ばあさんはあんたに何もしてあげられんちゃ
 熱いから気をつけられぇ」

毎回そう言って、お茶を僕に差し出してご自分のお部屋に入っていかれます。

僕はおばあちゃんにどれだけの感謝を伝えてきたのだろうか。。。
無償の愛をありったけもらってきたのに。

直接はなかなか言えません。
こういう場を借りなければ、何も伝えられない弱い孫に育ってしまいました。
ごめんなさい。


 おばあちゃん。
 生きてくれてるだけでいいんです。
 僕にはどうしても叶えたい夢があります。
 でも時間がもう少しかかりそうです。
 だからそれまでは絶対に長生きしてください。
 「ありがとう」の言葉はそのあとで。

 孫の理博より



2012.1.5.大畑 理博

はじめて次兄の長男と対面しました

生後2ヶ月の赤ちゃんは眼がキラキラしていました
首がすわってないけれど、抱っこさせてもらったら本当に温かい
生きているんだなぁ

背伸びをしたり、笑ったり、顔を真っ赤にして泣いたり
こんなにも身体全部で自己表現するんだと、感動しました



今の自分はこれが足りないんだなぁ・・・



正太郎を抱っこしながら最近読んだ詩選集より思い浮かんだ詩があります


ーーー

あなたをとりまく
いくつも いくつもの
小さな 大きな
きらきら

あかちゃんはきらきらを
にぎって生まれてくる
あやされた
てのひらがほどけたとき
きらきらを
世界にまいてるの

ーーー

世界に
みちているきらきらは
あなたに見つけてほしくって
ほら すぐそこで
せのびして
手をふっている

目をつぶれば
あなたの持っている
無限のきらきらが
きこえてくるでしょう


「世界はきらきらでみちている」より抜粋 新美亜希子



2011.8.19.大畑 理博
みなさんこんにちは
今日の昼に本当に嬉しいメールが届きました

それは昨日、次兄に第一子が誕生したとのメールでした
3030gの元気な男の子だそうです


新しい生命の誕生にワクワクします


名前の候補は「正太郎」
兄の名前を一字採った名前です
“正”の字源は「-」(目標となる線)+「止」で、目標に向けてまっすぐ進むことだそうです


成長したときに「正太郎」はどんな目標を持ち、進もうとするのでしょうか・・・。


とにかくスクスク育ってくれることを祈ります



2011.6.17.大畑 理博
甥っ子の千理と戯れていた時、僕に向かって言いました。



「空までって何センチ?」



いきなりの素朴な質問に上手く答えられなかったし、考えた事もなかったからビックリしてしまいました。

逆に千理に質問してみました。

「じゃあ千理くんは何センチだと思う?」

それに

「150センチぐらい?」

「じゃあおじさんは178センチあるから、ここ(鎖骨辺りを指して)からはお空にいるね」

「おじさんから見えるお空何色?」



これまたビックリな素朴な質問。

空を見上げてみたけれど、僕はもう甥っ子にしてみたら空にいることになってるんですよ。

いやぁ困った(~-~;)



答えられず、とりあえず話を変えたけれど。。。
その後ずっと考えさせられました。






皆さんは「空まで何センチ」だと思いますか?
それって何色ですか?



2010.10.24.大畑 理博


所用で実家に帰った際に、一度天気も良かったので、家族総出で昼食は外でしました
ちょうど田植え時期ということもあり、水田の匂いが仄かにしながらの焼きそばです

元気な長兄の子どもたちが発する一言や行動からは本当に沢山のことを教えてもらい、与えられ、考えさせられ、勉強させられます







庭の竹やぶと裏庭から観た風景です

子どもたちには天へと真っ直ぐに、そして雪で倒れたとしてもまた這い上がる筍から竹のような、また、広がる田畑とその向こうに聳える立山連峰のように、雄大な気持ちを持った人になって欲しいと心から願います



子どもたちよ
スクスク育て!!!



2010.5.21.大畑 理博
慌ただしく仕事をこなし終えて、ふと今日は祝日だと気付いて、ハッとしました。


今日は、敬老の日。


父方の祖母は今年で87歳だっけか?
ん???88歳の米寿だっけか?
(これ地方によって数え方違うんだな…初めて知りました)

でも米寿のお祝いの話を家族でしてたから、どちらかなんだけど。。。



なんだか自分もいつの間にか歳を重ねてる分、当たり前だけれど、みんな歳を重ねてるんですよね。

祖母は同じ酉年生まれだから、干支で考えると単純に5まわり。僕の60年も長く生きてるんだな。(ってことは87歳かな?)


幼少の頃は、スゴく珍しい綺麗なメタルグリーンの車でおばあちゃんに色んなところに連れて行ってもらったなぁ。

よく手を引かれて…

シワシワだけど、農業で鍛えられた強いけど温かい手だったなぁ
そう言えば、おばあちゃんの手って不思議なオーラの手だったなぁ…



今も変わらずに不思議な手なのかなぁ



今度、実家に帰った時に確認してみよう!!!



2008.9.15.大畑 理博
静かに雪が降り、寒さと共に積もっております。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか?

本日無事に、僕は27歳の誕生日を迎えました。
もう27年も生きているんですよね。
本当に不思議です。
最近は忙しさに追われるようにバタバタして、あっという間に時間が過ぎて行ってしまいます。



この間、専門学校の試験の時に、生徒1人1人の名前を書き出していました。
その時に質問されたことがあります。

何故に僕の名前が「理博」なのか。。。

僕の名前「理博」は父「理」と母「博美」の一文字ずつを合わせた名前です。
もっと源を辿ると父方の祖父「理昌」と母方の祖父「政博」の一文字ずつを組み合わせた名前です。

僕はそれぞれの祖父(もしかしたらもっと前の先祖の方々)から様々なモノをいただいて産まれてきて、また、名前までいただいたのではないかと思うことが多々あります。

それは声を出すとき。

それは話すとき。

それは表現するとき。

それは何かを伝えようとするとき。。。

歌うとき。



僕の体の根底から湧き出る想いかもしれません。




そんなことを思う誕生日です。





2008.2.9.大畑 理博
長兄の長男「千理」の誕生日だったようです。。。
っと言うのも実家から電話がかかってきて思い出したんですが(^_^;)
ダメですね。
自分のことに精一杯になちゃって。


千理はなんだか不思議な子です。
それは赤ちゃんの時から感じていました。
たまに実家に帰って千理を見ると、たまにボーっとして時が止まったようになり、おそらく何かを一生懸命考えているのだろうとは思うのですが、何を想い考えているのかわからない時があります。
最近では我が物凄く出てきて、ある意味こだわり派のようです。
大人になった時に、いい意味で色んなところにこだわりをもって欲しいなぁと思います。

最近は体調が悪いと母から聞いていましたが、実家に電話したときなどは後ろでワーワーと強気な姿勢でワガママを言っているのが聞こえたので元気なのでしょう(笑)



最後に千理へ。


「我慢」というのはしないといけない時と、してはいけない時があります。

してはいけない時。
それをしないのはワガママではありません。
自己主張です。

もっと自分を表現出来たらいいな。
千理笑

千理と

千理2007.3




叔父バカ日記でした。



2008.2.3.大畑 理博
今日は長兄の長女「舞衣」の誕生日でした。
(画像でちょっと顔が真っ黒に見えるのは今日の運動会のせいです。)
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今日で7歳。
もう小学校に入学して半年以上が経ちました。
下には2人の弟もいたりして、お姉ちゃん街道まっしぐらです。

5月からはピアノも習い始め、おじさんは嬉しい限りです。
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すみません叔父バカ日記でした。


2007.10.7.大畑 理博585135074_37.jpg

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みなさんこんばんは。
6日の演奏会の為、地元富山に帰省しております。

ここ何年か実家に帰ってきて一番驚かされることが、長兄の子どもたちの成長です。
それは考え方を変えると、もの凄い勢いで時間の流れが速いということをヒシヒシと感じさせられる瞬間でもあります。

まだ二つの足で歩けなかった子が一人で大地を踏んで歩き、単語で自分の感じることを話そうとするようになる。
片言の言葉でしか話せなかった子が文章で自分のことを話し、また、他人を思う気持ちを持つようになる。

子どもたちの成長は早いものなのかもしれませんが、その成長が早ければ早いほど、自分も早く時を過ごしていると思うと、自分の人間としての成長がちゃんとしているのか、不安になります。

まぁこの子たちとゆっくり話す時が来る時は、少しは成長していたいです。



2007.10.4.大畑 理博
実家に帰ってきて久しぶりに見た祖母は元気には変わりないけど、なんだか小さく感じました。

大正生まれの86歳。
もうそんな年なんだなぁ・・・。
僕も年を取ってるんだから当たり前ですよね。

僕の祖母のイメージは「ハイカラばあちゃん」です。

50を過ぎてから車の免許を取得。
60代では菊にゲートボールにと奔走。
70を超えて初の海外旅行でカナダへ。
80になっても柿の木に登って柿を採る。
うるさいと思うほど大声で話し、笑い。
そんな体中からエネルギーが溢れ出るような祖母だったから、物凄く大きく見えていたのかもしれません。

僕は祖母にくっついて様々な体験をさせてもらいました。
遠出もしたし、テレビにも出た。
物凄く厳しいことも言われたけど、物凄く甘えてました。今もそうです。
現在、僕の歌や人付き合いにもいかされていることが沢山あります。

もっと話がしたいから、元気でいて欲しいな。



霧雨の夜、家の周りを散歩していたら蛍が光っていました。
ふと思い出した詩を。



「祖母」三好達治

 祖母は蛍をかきあつめて
 桃の実のやうに合わせた掌の中から
 沢山な蛍をくれるのだ

 祖母は月光をかきあつめて
 桃の実のやうに合わせた掌の中から
 沢山な月光をくれるのだ



2007.7.2.大畑 理博
色んな意味で

父を越えたいと思ったことはありません。

父を越えられると思ったこともありません。



だけど
父を越えようという気を少しでも持っていないと、父に失礼なのかもしれません。






お父さん

あなたの背中は今でも大きく、広く、高く、立ちはだかっています。



あなたの息子は、そんな背中を見て育ちました。

2007.6.17.大畑 理博
20070531230738
みなさんこんばんは
今日5月31日は甥の理生の1歳の誕生日です。

スクスクと真っ直ぐに成長してほしいなと思っています。
名前の通り「理」(一筋に何かを極めおさめる)のように「生」を送ってほしいと願うばかりです。

東京から富山に向けて・・・
お誕生日おめでとうっ!!!



オジ馬鹿日記でした。

2007.5.31.大畑 理博
みなさんこんにちは。
爽やかな風が吹きすぎて行きます。



今日は母の日ですね。
バタバタしていてすっかりそんなことも忘れていました。



「母」って皆さんにとってどんな存在ですか?
色々考えましたが、結局言葉では表すことの出来ないものだと言うことがわかりました。

色々思い出とかエピソードとか書こうと思いましたが「偉大」とか「強さ」とか安易な言葉しか出てこないのでやめます。



変わりに僕の言葉ではなく、歌曲にもなっている竹久夢二と大木惇夫の詩と載せておきます。



「母」竹久夢二

ふるさとの 山のあけくれ
みどりのかどに たちぬれて
いつまでも われまちたまう
母はかなしも

幾山河とおくさかりぬ
ふるさとの みどりのかどに
いまもなお われまつらむか
母は遠しも



「母のこゑ」大木惇夫

夜風に
葦がそよぐよ
よしきりがなくよ
故郷は遠いに
お母さまの
声もするよ



2007.5.13.大畑 理博
昨日、家に帰ってきたら郵便局からの不在連絡票が届いてました。
差出人は「おおはたまい様」と書かれており、姪の舞衣からでした。
夜遅かったのと、横殴りの雨が降っていた為、郵便局には取りに行けませんでしたので、午前中に届けてもらうように手配いたしました。

中には、アンパンマンの缶が出てきて、その中にはクッキーが入ってました。
お手紙も付いていて、「遅くなったけど・・・。」って誕生日プレゼントのようでした。
それでどうやら手作りのクッキーだったようです。
しかも昨日は偶然にもヴァレンタインデー。
タイミングがいいですよね。

おじさんとしては嬉しい限り。
なんだかもったいない感じがして飾っておきたかったけど、食べたほうがと思い食べました。
っというか一気に食べました 笑

おいしかったなぁ~(*^_^*)  ←オジバカ丸出しですみません。

なんだか子どもはあっという間にどんどん大きくなっていきます。
帰るたびに成長している子どもたち。
姪は今年の4月から小学校に通うようになります。
僕と同じく2月生まれの甥も3日で2歳になりました。
この間、実家から電話があったとき、たどたどしいながらも単語と単語をくっつけて簡単な文章を話してました。



まぁよく考えたら僕もそれだけ年を重ねたのですね・・・。



2007.2.15.大畑 理博20070405014250.jpg

東京での昨日からの秋雨はとても冷たく、僕にかわって溢れ出す涙のようでした。。。

先月、やっと懇願していたことが叶って出来た祖父の前での演奏。
しかし、もう出来なくなってしまいました。
本当にあれが、僕にとって祖父の前で歌った最初で最後の歌。
涙をこらえて歌った歌。




もう聴いてもらえないのですね・・・。




もし出来るなら、もう一度来世でもあなたの孫でいさせてください。
安らかに・・・。





あなたのその美しい鼓動を分けて下さい
あなたはもう帰らない昨日を翼にして生まれ変われる
・・・
あなたのその美しい勇気を分けて下さい
倒れそうで怖いから昨日を翼にして生まれ変わりたい

Border by 浜田麻里



2006.9.27.大畑 理博
富山の今日は、陽射しはかなり強いですが、日陰に入ると涼しい風が心地いいです。
気が付いたら立秋を過ぎているんですよね・・・。

昨日、前々から懇願していたことがやっと叶いました。

以前のdiaryにも書きましたが、母方の祖父が入院しておりまして、帰省する度に段々弱くなっていくのがわかっていました。先月まで普通に会話出来たのに、昨日行った時には、口の周りの筋肉も衰え、発音することが難しくなってきていました。

「歌うこと」を志したころには父方の祖父は他界しており、応援してくれる母方の祖父には是非歌を聴いてもらいたかったのです。
ずっと母にはその旨を伝えており、3月に一度、僕が祖父の入院先である病院に、ボランティアで歌わせてもらうことが出来ないか、電話でアポイントをとったことがあるのですが、その時は残念ながら断られてしまいました。
しかし、それを見ていた母が打診してくれ、急遽病院内のレストランをお借りし、ミニコンサートを開かせてもらえることになったのです。


「歌うこと」が出来ると聞いた時は本当に嬉しかったです。

プログラムは地元富山県民謡の「こきりこ」、「浜辺の歌」「夏の思い出」「我は海の子」など夏や海をテーマにしたもの。後半は「青い山脈」「上を向いて歩こう」、また季節柄「さとうきび畑」、「涙そうそう」などでした。

最後に僕が大好きな美空ひばり「愛燦々」を歌いました。

前奏が始まるとふと思ったことがあります。
『やっとじいちゃんの前で歌えた』と同時に『これが最初で最後になるのかもしれない』。
実現出来た嬉しい想いとなんだか淋しい想いが重なり混ざり、とても複雑な思いで感情が溢れそうで一杯になりました。
あんなに涙をこらえ、声が震えないようにしながら歌ったことはこれまでにないかもしれません。
他にも患者さんや先生、看護士さん、スタッフの方がいらっしゃいましたし、演奏している以上、僕が止まるわけにはいかないのです…。

演奏後、もう一度病室に戻った祖父に会いに行きました。僕に声にはならないけど真っ直ぐな目で話してくれました。内容はもちろん聞き取れません。それでも何か祖父が言いたいことを感じました。

家に帰ってきてから、僕はシャワーを浴びてる時にひとしきり泣きました。



このミニコンサートに協力してくださった病院をはじめ担当の医師、看護士のみなさん,そして企画に賛同し場所を提供してくださった病院内のレストランの担当の方。また、忙しい中、遠いところから来てくれたピアニスト。そして、この企画を打診し、進めてくれた母に心より感謝致します。

2006.8.11.大畑 理博
ちょっと近所を散歩しただけでも、色んな花々が咲いてます。
桜だけではありません。
色んな花が咲いています。

ずーっと書くことを迷っていました。
でもやっぱり書くことにしました。
おそらくキーを打つたびに感情剥き出しに涙がこぼれると思います。

僕に関わらず、みなさんにはおじいさんが2人いらっしゃると思います。
僕にももちろん2人います。

父方の祖父は僕が中学3年の秋天気のいい日の午前に亡くなりました。
僕に、はかりしれない色んなものを残して。
祖父はどんな顔をして亡くなったのかは知りません。でも穏やかだったんだと思います。
とても厳しいじいちゃんでした。でも今から思えば温かかった。スーパーマンのような人でした。大きな体で大きな手。大きな声。
本当に僕が思い出せるのは「大きな人」ということだけです。
僕には多くを語らず見守ってくれていました。つらかっただろう戦争のことも多くを語らず。。。
亡くなる前まだ少し意識がはっきりしていたころ、病院から一時だけ実家に退院してきました。
その時じいちゃんは寝ようとした僕にこんなことを言いました。

「ひろ。なんかやりたいこと見つけたら何も気にせんと好きなだけやらんとダメなんぞ。絶対逃げたらダメなんぞ。」

その時は全然わかりませんでした。
でも今になってそれがありありとわかる気がするのです。
突っ走ってきたけど、どこかで逃げてきた自分に。
何故か帰省するたびにお墓参りに行きたくなるのです。じいちゃんにお礼言いたいんです。
それとお詫びも。。。最期近くにじいちゃんの病室に行くと管だらけの体でか細く「おう、ヒロか。」と。それが僕への最期の言葉です。でもどうしても見てられなくてすぐに病室から出てしまいました。あの時もう少し一緒にいられたらと未だに後悔しています。

残念ながらじいちゃんと一緒に写っている写真はこれぐらいでした。
でもすごい温かい笑顔で大きい手で抱いてくれています。



母方の祖父はまだまだ元気です。病院で療養中ですが。
この間、慰問演奏の帰省の際に会って来ました。っというかどうしても会いたかったのです。
父方の祖父とは違った意味で大きな人です。
体は大きくありません。でも僕にとって大きな人なのです。
同じ富山県内にいながら、会いに行くとすればお正月とお盆ぐらいでした。
今でこそ僕のじいちゃんの感覚ですが、当時高校生ぐらいまでは、一緒に住んでいないというのが大きいでしょうか、なんだか面と向かうと恥ずかしくて・・・。

この日記を書くか迷ったのは、このじいちゃんにあったときのことを書くことにどうも心に引っかかるものがありまして・・・。

病院に行くと、じいちゃんとばあちゃんは寄り添いながらテレビを見ていました。
声をかけると嬉しそうな顔で手をあげてくれました。
どうやら点滴をしていて辛そうですが、自力で体を起こしてくれました。
慰問演奏のこと、最近の報告などしました。
プレゼントに地元紙に載ったののコピーと上野の桜を携帯で撮ったもののプリントアウトしたものを。
すぐ疲れるようで、一通り終わったらまた横になりました。
僕はこのじいちゃんと会話が無くてもいいのです。その雰囲気が落ち着くのです。
正味どのくらいいたかわかりませんが、ばあちゃんと話したり、僕はただ座りお見舞いに来たおばさんやお客さんと話しをしたりしていました。
その後母親を駅まで迎えに行くのも忘れて。。。
しかし時計を見るとあっという間の時間は過ぎ、帰らないといけない時間でした。
祖父にそのことを告げると、本当に驚くほど硬く握手をして、

「そうか気を付けて帰らっしゃい。エラくなったらあかんがんぞ。ボランティアの心やぞ。それから、桜の写真はいらん。お前の顔見せてくれぇや。」

このときの強く握り締めてくれた手にすごいメッセージを感じました。
こちらは泣きそうで。。。でもこらえて。。。

「またくっちゃ」

と帰ってきました。
でもやっぱり涙腺の弱い僕は病室から出て、エレベーターの中から号泣。
人目をはばからず泣きながら車に乗りました。
母を迎えに行くはずがあまりの号泣に、途中車を止めたりして遅刻してしまいました。
やっぱり温かいじいちゃんです。僕には偉大なじいちゃんです。
もっと話したいし、もっと時間を共有したいです。


じいちゃんの前で歌ったことはありません。
父方の祖父は、墓前で歌ったりします。
でも母方の祖父の前では歌ったことはありません。
どうしても歌いたい。なんとかして・・・。
機会を模索中です。


かなり私事の強い内容のものになってしまいまして失礼致しました。
僕にはここでこうやって書くことによって、少しだけ癒されているような気がします。

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