バタバタしていたら更新にこんなに時間が経ってしまいました。

もう梅雨にも入りドンヨリとした天気が続いています。
近所を散歩したり、学校に行く途中などちょっと目をやると、紫陽花たちはそれさえも受け入れようとするほど、色彩豊かに庭や公園で笑っているように見えました。
また、僕の中では厄介な雑草だと思っていたドクダミの白い花も、美しいと思うようになりました。

みなさんのお住まいの地域ではではいかがですか?

最近、「まど・みちお」さんの詩集を愛読しているのですが、その中に紫陽花の花にまつわる詩を見付けました。紫陽花の花だと思っているものは実は萼(ガク)なんですよね。。。でもまどさんは・・・。


アジサイの花  まど・みちお

アジサイの花を 見た人は
せかいに ひとりも いませんが
そのことを ほんとに する人も
せかいに ひとりも いません

みんな うっとりと
見とれてしまうのです
アジサイの花だと おもって

るりいろの シジミチョウが
いつも びっしりと
すきまも なく
とまっているものですから・・・



もう一つドクダミの詩を。ちょっとドキッとしました。

ドクダミ  まど・みちお

ここに くると
昼ひなか
ひんやりと ランプがともっている

わたしは いきを ころす
どこかに うごめく
夜のけはいに
からだじゅうを 耳にして

なにかが おこっているのに
それが 
いよいよ 大きくなってくるのに
わたしだけが
気づかずにいるのではないかと・・・





最近、お世話になった先生が御二方お亡くなりました。
佐藤功太郎先生。そして岩城宏之先生。
御二方とも指揮者の先生です。
佐藤先生にいたっては、大学の時にも定期演奏会の指揮者として、そして、昨年12月の山田耕筰の歌劇「黒船」の指揮者として勉強させていただきました。
心からご冥福をお祈りいたします。

2006.6.17.大畑 理博
みなさんこんにちは。
なんだか今日、東京は30℃を越えたところもあるとか・・・。
今は色々所用がありまして、実家の富山に帰ってきているのですが、なんだかすっきりしない曇りで時々雨が降り、肌寒い感じさえしています。

僕の中でどうも昔のようなゴールデンウィーク近辺のすがすがしい「春」を最近感じたことが無い気がするのですが・・・。

花々もどうも昔とは違って、季節を越えて咲いてる気がしてならないのです。
昔、水仙とシャガの花て重なってたかなぁ・・・。


でも新芽はニョキニョキと出ていますね。

僕の大好きな詩を今日は掲載しておきます。
木下牧子先生が合唱曲として作曲なさって大変歌われたり、教科書に掲載されて有名になった詩です。
でも著作権で本当はダメなんですよね・・・。ごめんなさい。。。(っということで。)



春に 谷川俊太郎

この気持ちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
僕の腹へ胸へそうしてのどへ
声にならいさけびとなってこみあげる
この気持ちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
今あふれようとする

この気持ちはなんだろう
あの空のあの青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話をしてみたい
明日とあさってが一度にくるといい
僕はもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声で誰かをよびたい
そのくせひとりでだまっていたい
この気持ちはなんだろう


「どきん」より




2006.5.1. 大畑 理博
昨日の日記に修了コンサートのマニアックな歌のことを書きましたが、「それはどんなものだ?」というリクエストを何人かの方からいただきましたので、ここで詩だけでも紹介致します。
本当に強い反戦歌です。



墓碑銘―戦死せる彼等のために―  大江満雄

風よ としわかき勇士の吐息をつたへよ
黄河に吐息あればそれをもつたえよ
言葉なく労苦にうづくものに彼等の祈望(きぼう)をつたえよ
かれ等は屍となりかへらず
かれ等の骨片(ほねびら)のひとつ ここに帰る
なにびとかたづぬな
かれ等は死をもって祖国にこたへ
平和と幸福をわれらにねがふ
かれらの憂ひ
かれらのふかきまなざし
ゆめ多きかれ等の過去を
かれ等の遺族たちのうへに心もやして渇けるをつたえよ。

(深井史郎作曲「三つの歌」より)



☆★☆新着ニュース☆★☆
ギャラリーとリンクにいくつか追加されました。
4月の演奏会に関しては、詳細がはっきりして無いものが多いためわかり次第アップしていきます。


2006.3.28.大畑 理博
最近暖かかったり、強風が吹いて寒かったり、なかなか天候が定まりませんね。
でも確実に盛春が近づいている気配です。

僕の周りではお父様が亡くなられた方、それから病院療養中の方が多いのです。
書く言う僕の母の父=祖父も病院で入院しながら養正しています。

皆さんにとって「父」とはどんな存在ですか?
これまでいろいろな日本の歌を歌ってきましたが、「父」を題材にした作品は少ないように思います。母はたくさんあるのですが・・・。

その中で、『くちなし』という高野喜久雄さんの詩に高田三郎先生が作曲なさった作品で、よく歌われるものがあります。今回はその詩を。(原詩ではなく今回は歌詞のほうを。)
もう一つ、残念ながらお亡くなりになりましたが、僕が大好きな詩人・石垣りんさんの作品に『父の日に』というものがあります。それを・・・。
(著作権の問題がありますが。。。今回はお許しをm(__)m)



『くちなし』  高野喜久雄

荒れていた庭 片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた

くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ

「ごらん くちなしの実を ごらん
熟しても 口を開かぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば
父の祈り

くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう




『父の日に』  石垣りん

向こうに 立っている お父さん。
一本の木のように しっかりと。
父はそうして
立ちつづけに 立っている。
立つことで
はじめてあなたは 父であったから。
私が生まれる前から
私が死んだ後までも
樹齢何百年 というように
父は 立っていなければならない。
いのちの 原風景の中で
はじめから 終わりまで。
向こうの方に 立っている お父さん。



2006.3.19. 大畑 理博 20070404084802.jpg

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