声楽家とピアニストとともに日本歌曲を塚田佳男先生のもとで勉強している会で
事あるごとに大変お世話になっているソプラノの間庭小枝さんが
大中恩先生の歌曲・子供のうた作品を集めたコンサートをなさるというので行ってきました

大中先生の歌曲作品のテキストも書いていらっしゃる詩人の北島万紀子先生は
【大中恩作品は、ことばを詩人以上に伝える。
間庭さんは、歌の表現で叮嚀にことばを届ける。
だから私達の心は揺さ振られる。】
とおっしゃっている通り
間庭さんは一作品ずつの表情をしっかりと捉えて
それを表現する演奏をなさっていました
やはり性別が違うので女性的なアプローチ
そして男性では出来得ない母としてのアプローチはとてもグッとくるものでした
優しさとユーモアとそして瑞々しさ
お人柄同様に懐の深さを感じさせられる大中先生の作品たち
土田藍として大中先生ご自身も詩をお書きになっていらっしゃいます
先生の主催のコンサートに出させていただいた際
アンコールは何にしようと相談していると
とても恥ずかしそうにニコニコ笑いながら
「大畑くんの歌を聞いていたらね、
なんだかこれを歌ってほしいなって」
と提案されたのが土田藍作詩の『無言』という作品でした
「大畑くんの思うように歌ってくれればいいから
そっと優しくね」
本当に男性として人間として懐の深い広い言葉と音楽の作品でした
---------------------------------------
無言 土田藍
ー話しておくれ
ーどんなことでも
ーわたしはいつでも
あなたのことなら
なんでも
きいてあげたいと思うけど
ーだまっていないで
ーはなしておくれ
ーくるしいならなお
もっと
心くだいて
話しておくれ
わたしに・・・・・・

2021.8.12.大畑 理博
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智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
あどけない話/高村光太郎
「智恵子抄」の中の印象的な詩ですが、この後も続いていきます。
毎日見上げていると光太郎とは違った視点から、東京の空はきれいなんじゃないかと思うことが最近増えてきました。
僕が育った田舎では考えられない空が東京に広がっている気がします。
宙に浮く通路があって建設途中でなければ見られない空。

生活の中に地下鉄の出口がなければ見上げない空。


あった建物が壊されてまた見えてきた空。

そしてそこに建物があるからこそ見える空。


何が本当かの考える余地があるにせよ、僕には美しく見えてくる空があります。
東京だからこそ。
2017.1.17.大畑 理博
トレーニングを終えて
青空を見上げたら
あまりに気持ちよかった
これが
“生きている”
というものなのかもな
と思った
谷川俊太郎先生の詩に
「空の青さを見つめていると」
というものがある
まさにそうなんだろうと
声に出したくなる言葉たちである
空の青さは
“ひたすら怖い”
と思うときがある
それでも
空の下で
生きてきたし
まさに生きているし
生きていくわけで。。。
覚えてる言葉たちには
必ず理由があるのだろう

谷川俊太郎「空の青さを見つめていると」
空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
(『六十二のソネット』より)
2015.12.05.大畑 理博
いのち 詩:高野喜久雄
いのちとは ただ
待ちぼうけの ことではないか
来るはずのない 何か
巨きすぎるものを 切なく
待ちわびることではないか
水すましは その眩暈
ジラフは頚 薔薇は棘
人は言葉
向日葵は芯で
ただ 待ちわびる ことではないか

今日演奏した作品のテキストの1つです。
昔は全然わからずにどうしても好きになれなかったこの詩ですが、今は真摯に受け止められることが出来、ずっしりと重みを感じます。
昨秋の祖母、そして今夏の父の“死”
と共に
昨秋産まれた次兄の息子(甥)の“生”
身内で2つのことをここ1年で体験しました。
“生”から“死”に向かうとはどういうことなのか。
“いのち”とは?
この作品を勉強しながらもですが、演奏しながら様々なことが巡りました。
それでも答えはわかりません。
“待ちわびる何か”があることは33年程生きてきて、なんとなくわかった気になっています。
それを見付ける為に“生”を受け、答えを探す過程で、来るはずのない巨きすぎる“何か”を見付けた時に“死”を迎えるのかもしれないとも、この詩から学び発見させられました。
“生”を受けたからこそ“死”があるのですよね。
その間の“いのち”の意味や意義を自らが自らに課す。
本質は自らが死ぬ間際にわかるのでしょうか。
終演後、涙を流しながら僕に握手をくださった見知らぬご婦人の手は本当に温かく、握り返したときに、これが“いのち”の待ちわびる過程なのかとも思いました。
明後日から入院をされるそうで、この後どうなるかわからないと仰ってました。
僕の稚拙な歌を「救いでした」と仰ってくださった。
この上無い幸せです。
今日は扁桃炎で声帯炎も併発した最悪な状況でしたが、演奏して良かったと本当に思えます。
2014.10.19.大畑 理博
明日のコンサートで演奏する
“故郷”
兎追いし かの山ぁ~♪
なんて口ずさみながら、快晴だしと実家の庭を散策してたら
柿や栗やがなり…



ホトトギスや竜胆が咲き…


なぁーんて思っていたら
肩の上に“赤トンボ”
がとまりました

♪
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、肩の先
♪
とっさに出てきた普通の替え歌です
でも肩の上に乗る赤トンボってなんだかホッコリしますね
こんな日に限って同じ色のセーター来ちゃってた
黒だったらもっと綺麗だったのになぁ
2014.10.18.大畑 理博
先日のワンマンの最後。
「写真」
平井堅さんのアルバム『FAKIN' POP』の最後に収録されています。
やはり平井堅さんが亡くなったお父様のことを思って制作し、歌っていらっしゃいます。
前々から知っていましたが、このように歌う時が来るだなんて思ってもしていなかった楽曲。
いざ練習しようと思っても、あまりに込み上げるものがありすぎて、なかなか最後まで辿り着けなかった楽曲。
それでもお盆に報告するって約束したので、今回のライヴのアンコール、そして亡き父に捧ぐ“うた”として、アカペラでなんとか最後まで歌いきれた楽曲。
平井堅さんの「写真」の歌詞は、あまりにも今の自分と重なってしまいました。
このFacebookで父の顔を出すまで、実家などでは似てると言われたことが無かったので、コメントにあったり直接仰っていただいた時には、本当に嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
僕の父はお酒はほぼ飲めなかったので、ライヴでは曲中の歌詞「ビール」を好きだった「コーラ」と変えて歌いました。
「写真」
写真立てのあなたに どんどん似ていく僕が
少し照れくさいけれど 少しうれしい
夢中で駆け出した海辺 背が届かないところで
しがみついたあの背中は 今はもう ない
あなたの背を追い越した今も 届かないところはある
孤独な夜も 憂鬱な朝も しがみつくものはない
キラキラ輝く明日を 水面が照らしていた
あなたの目にあの海は どう映ってたんだろう
時々答えが欲しくなる 時々逃げたくなる
怒ってるかな あきれてるかな
星になったあなたは ずるいよ
くわえタバコとビールで 僕を見ては笑ってた
あなたの子で良かったと心から思う
海のように広くて 空のように遠くて
あなたの子で良かったと心から思う
(作詞:平井堅)

写真は富山県魚津市にある、いつもお世話になっている林檎農園に行ったときのものだと思います。
僕は何才だろうなぁ。。。
2014.8.14.大畑 理博
実家に帰ってきて田園を歩いていると、この田んぼに生きた先祖を思います。

先人の短歌を借りて。。。
祖父、父と継ぎこし田舎わたらひを嫌(いと)ひきにしがわれもわたらふ
成瀬 有
2013.6.15.大畑 理博

ソメイヨシノが東京のいたるところで満開です。
さくらの はなびら まど・みちお
えだを はなれて
ひとひら
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
2012.4.6. 大畑 理博
新実徳英先生作曲の「われもこう」という作品を演奏しました
演奏する前には必ず、練習段階でその詩の世界観をかなりイメージするのですが、イマイチ掴めていませんでした
大地に生える辛抱強い感覚だったんですが。。。
たまたま演奏前に通り掛かった花屋に、他の花たちと一緒に束ねられたわれもこうを見て
「あぁ~そういうことかぁ!!」
と秋晴れの下で納得し、演奏することが出来ました

われもこう 谷川 雁
あの色だけならば 暗すぎる
すすきの道をふさぐ われもこう
風のままゆれ 霧のたびぬれ
さびついたとびらをつくる鞠
にわかに秋の日
かがやく 深いくれない
遠くでうろこ雲 たずねてる
エジプトそだちの 紅を見たか
2011.10.9.大畑 理博
東日本大震災で避難している子どもたちの笑顔を見た
「SOS」と書かれた避難所になっているグラウンドで
サッカーを楽しむ少年たちをテレビで見た
そしてまた新たな命が誕生しているのを見た
生徒が前に歌っていた歌を思い出したので歌詞を下に書いておきます
Eternal Love 諫山 実生
その笑顔の先には何色の空が見えるの?
哀しみのない世界と いつになれば出逢えるだろう…
今を生きる子供たちに僕は何を残してあげられる?この世界に
声を大にして君に誓うよ この地球の果てまで続く確かな
愛を届けよう Eternal Love
たった1つだけ願いが叶うなら何を願う?
満たされないことの方が多くなった現代に
壊れかけた未来への扉たたいて 新しい世界見つけよう自分の力で
声にならない様な小さな声でも 聞き逃したりしないもっと近くで
僕に伝えて Eternal Love
めぐりめぐった世界 僕らは今、何が出来る?
だから声を大にして君に誓うよ この地球の果てまで続く確かな
愛を届けよう Eternal Love
Love & Peace forever, Eternal Love
I love you forever, Eternal Love
2011.3.18.大畑 理博
秋の空を見上げると、沢山の八木重吉の詩を思い出します。
以前にも四篇の詩を掲載していました。
「秋の瞳」という詩集を持って歩くと、様々な想いを代弁してくれます。
秋の空 八木重吉
秋が呼ぶようなきがする
そのはげしさに耐えがたい日もある
空よ
そこのとこへ心をあづかってくれないか
しばらくそのみどりのなかへやすませてくれないか
雲 八木重吉
くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい
2009.9.22.大畑 理博
みなさんこんばんは。
昼間にふと足を止めて、珈琲をすすりながらボーっとしていたら、春繚乱に咲いていた桜の葉が噴水に落ちていきました。
あの春の桜の木とは全く趣が違って見えました。
でもそこには自然の壮大さと人間の輪廻を感じずには居られませんでした。
ある日ある時 黒田三郎
秋の空が青く美しいという
ただそれだけで
なにかしらいいことがありそうな気のする
そんなときはないか
空高く噴き上げては
むなしく地に落ちる噴水の水も
わびしく梢をはなれる一枚の落ち葉さえ
なにかしら喜びに踊っているように見える
そんなときが
2009.9.8.大畑 理博
今日は人前で歌うことがあったのですが、あまりに中身がすっかすかで、自分でもショックを隠せません。
どんな状況であれ、心の底の奥の奥から歌わないと。
こんなことじゃいけないですね。
茨木のり子さんの詩をお借りして、自問。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子「自分の感受性くらい」(昭和52)所収
2009.5.10.大畑 理博
この歌を9日に演奏させていただくのですが、今日、まさに8月6日に練習していたら、涙が止まらなくなってしまいました。
1974年8月9日、広島テレビ主催の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんによって初めて歌われた作品。
自身の「好きな曲のベスト10」にこの歌を挙げており、ステージの上で「茨の道が続こうと平和のために我歌わん」とおっしゃったそうです。
一本の鉛筆
作詩:松山善三 作曲:佐藤勝
あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい
一本の鉛筆が あれば
私はあなたへの 愛を書く
一本の鉛筆が あれば
戦争はいやだと 私は書く
あなたに 愛をおくりたい
あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい
あなたに 世界をおくりたい
一枚のザラ紙が あれば
私はこどもが 欲しいと書く
一枚のザラ紙が あれば
あなたをかえしてと 私は書く
一本の鉛筆が あれば
八月六日の 朝と書く
一本の鉛筆が あれば
人間のいのちと 私は書く
2008.8.6.大畑 理博
仕事から仕事への移動中の空です。

美しいような。。。
不思議なような。。。
不気味なような。。。
夕暮は大きな書物だ
すべてがそこに書いてある
始まることや 終ることや-
始まりも終りもしない頁の中に
谷川俊太郎『愛について』より
2008.7.28.大畑 理博

毎新年必ず参拝していた、雄山神社。
年末年始は仕事の関係等で帰省出来なかったので、帰省を機に挨拶に行って参りました。
少し小雨も降っていたので、神社内に人はおらず、神聖なる厳かな雰囲気が漂ってました。
参拝を済ませたあと、なんとなく奥に向かうと、天然記念物のニホンカモシカが僕を一目して、山へと向かっていきました。
ちょっと神の遣いの様な気がして、そのカモシカの走った後は、異様な空気観でした。
その後、後ろを振り返ると大きな切り株が。
画像を参照してください。
どのぐらいその樹(立山杉だと思うのですが)は立っていたのかわかりませんが、大きなものでした。
そこから、何種類かの新しい芽が出てきていました。
それを見ていたら、自分もこうやって器が大きくなって、新芽を受け入れられる様になったらと思わずにはいられませんでした。
2008.7.1.大畑 理博
みなさんこんばんは。
今日は5月5日の端午の節句ですね。
子どもたちに向けて最近演奏したものに、以下のような詩の作品ががありました。
僕は大変気に入っております。
この詩に出逢わせて下さり、その詩に作曲なさった松井千代子先生に感謝いたします。
松井先生からは、楽譜を送っていただくときに、作曲なさった際の篤い気持ちのこもったお手紙をいただきました。
金色の旗 ルナク
僕は見る
風に向かい 顔を上げて
歩き始めた 君の
高くかざした手に
その か細い手に
しっかりと 握られた
はためく 金色の旗
何者にも 譲らない純情
けっして 諦めない 潔癖
憎しみを 飲み干す 勇気
哀しみを 抱き込む 寛容
僕は 聞く
心地よい たくさんの歌声
君の語る夢に シンクロする
雨の 砂の 石の 星の 花の 木々の
すべての生命(いのち)の 歌声
笑い 啼き 叫び 呟く
魂は ここに集い はばたく
光は ある
君のかざす その旗のさき
金色の旗 ゆらめく そのさき
2008.5.5.大畑 理博
最近読み終わった本の中に大岡 信の「新 折々のうた9」というものがあります。
その中から一句。
立山が後立山に影うつす夕日の時の大きしづかさ 川田 順
移動するために地元富山で車を走らせていると、空は雲に覆われているのですが、山のほうは不思議とすっきりと晴れていて、雪化粧をした雄大な立山連峰が夕日に照らされて見えました。
絶景この上なかったので、車を停めてぽか~んと見ていました。
18年間富山で育って、見てこれた風景なはずのに、立山連峰の冬の雄姿をこのように意識して見たのは初めてでした。
2007.12.25.大畑 理博

皆さんは今晩の月を拝見なさったでしょうか?
東京では雲から見え隠れしていますが大変見事な名月です。
僕はずっとあのように照らされて輝く月になりたいと思っています。
自ら輝く太陽になりたいと思ったことは一度もありません。
太陽に照らされヒッソリと輝く。
そんな月になりたいんです。
たまに見上げられてキレイだと関心を持ってもらえたら・・・。
月に纏わる日本歌曲の中から、僕のもっとも好きな作品を紹介します。瀧廉太郎自身が作歌、作曲しています。
秋の月 瀧 廉太郎
光りはいつも
變らぬものを
殊更秋の月の影は
などか人に
物思はする
あゝ鳴く蟲も
おなじ心か
聲の悲しき
2007.9.25.大畑 理博
秋を様々な形でとらえた詩人・八木重吉。
短い中にあまりにも思いが詰まっていてたまに苦しくもあります。。。
八木重吉
「秋の瞳」より
秋の日の こころ
花が 咲いた
秋の日の
こころのなかに 花がさいた
空が 凝視てゐる
空が 凝視てゐる
ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
おそろしく むねおどるかなしい 瞳
ひとみ! ひとみ!
ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
かぎりない ひとみのうなばら
ああ、その つよさ
まさびしさ さやけさ
秋の かなしみ
わがこころ
そこの そこより
わらひたき
あきの かなしみ
あきくれば
かなしみの
みなも おかしく
かくも なやまし
みみと めと
はなと くち
いちめんに
くすぐる あきのかなしみ
咲く心
うれしきは
こころ 咲きいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり
2007.9.18.大畑 理博
空が高くなり、段々と秋になっているのを感じます。
みなさんお元気でしょうか?
僕のほうはだいぶ顔の傷も快復に向かい、今は絆創膏ではなくテープだけになっています。
8月11日付の日記にも書かせていただきましたが、本の再読をいたしました谷川俊太郎詩集の中から、この秋の空を見つめながら思い出した詩を記しておきます。(本当はダメなんですけど・・・。)
41
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通つてきた明るさは
もはや空へは帰つてゆかない
陽は絶えず豪華に拾っている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生れなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切りとつている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
(『六十二のソネット』より)
2007.9.14.大畑 理博
みなさんこんにちは。
残暑厳しい日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
今日、ふとトマトが食べたくなってスーパーをいくつか回ったのですが、食べたくなるようなトマトは見つからず・・・。
齧り付きたくなるようなトマトどこかに売ってないかなぁ。
画像は帰省時に実家の畑でなっていた祖母が作ったトマトです。
トマト 大久保テイ子
「あおいね」って
トマト
「あかいね」って
そら
「ひろいね」って
トマト
「まるいね」って
そら

トマト 荘司 武
トマトって
かわいい なまえだね
うえから よんでも
ト・マ・ト
したから よんでも
ト・マ・ト
トマトって
なかなか おしゃれだね
ちいさい ときには
あおい ふく
おおきく なったら
あかい ふく
2007.8.23.大畑 理博
あじさいの雨 西岡光秋
あじさいに降る雨よ
うすむらさきのわたしの思いを
濡らしてすぎた きのうの雨
雨のなかで思いに耐えて
色を増す あじさいの花よ
きのうの雨を追って 降り続く雨
雨はひそかに明日の雨を呼んでいる
ちいさな庭の その片隅で
溜息をもらしている うすむらさきの
あじさいの花よ
花を濡らし わたしの思いを濡らし
あじさいの雨の さびしさよ



「ドクダミ」と聞くとみなさんどんなイメージですか?
僕はどうも昔から、あまりいいイメージがありませんでした。
しかし、近所を散歩していると、ひっそりとそして淡く柔らかく咲く一輪の白い花が。
「ドクダミ」星野富弘
知らなかったよ
こんなにきれいだったなんて
すぐそばにいて
知らなかったよ
「ドクダミ」まど・みちお
ここに くると
昼ひなか
ひんやりと ランプがともっている
わたしは いきを ころす
どこかにうごめく
夜のけはいに
からだじゅうを 耳にして
なにかが おこっているのに
それが
いよいよ 大きくなってくるのに
わたしだけが
気づかずににいるのではないかと…
2007.5.23.大畑 理博
こんばんは(^-^)/
お昼に続いて書きます。
先ほどたまたま手にしたCDで見つけました。
「We’re the One」
優しい人になりたかった
だから探してた
優しくされて 今 気付いた
愛はここにある
野地の果て
細かな雨
流れる景色
満ちる空
夢つのらせ
耳をすませば
遠くに響くよあの歌
手と手をつないで届けよう
明日へあなたへ歌うよ
心を広げてこの歌を
小さな花が美しくて
顔を近づけた
幼い頃の母の笑顔
急に思い出した
まるい背中
ふくよかな胸
束ねた黒髪
やわらかな
無償の愛
ずっと忘れない
遠くに離れて気づいた
ありがとうあふれる優しさ
明日へあなたへ歌うよ
心をこめてこの歌を
(詞・高橋 洋子)
2007.5.13.大畑 理博
みなさんこんにちは。
東京都では「はしか」が流行っていて、大学が異例の全学部休講になっているようですが・・・。
みなさんは大丈夫ですか?
今日は、言葉の話です。
ちょっと勉強に詩を読んでいたら今までに見たことのない文字がありました。
「さみどり」
僕の勉強不足なのかもしれませんが、一瞬漢字に置き換えられませんでした(^_^;)
「早緑」・・・若草や若葉の緑色。
今の季節にピッタリの言葉だと思いました。
これまで知らなかったのが恥ずかしくなってしまいました。
本当にキレイな響きの言葉です。
その「さみどり」が用いられた詩を紹介いたします。
夏の詩だとは思うのですが・・・。
目醒め 大木 惇夫
いい夢を見残して
すがすがしいこの寝醒めに
草のにほいを吹き入れる風
かやを透かせば
さみどりに 空も揺れている
ああ幽かに
朝のピアノが鳴っている
幸な 幸な漣が
わたしの胸をゆすっている
2007.5.11.大畑 理博
なんだか最近めっきり寒くなりましたね。
僕は末端冷え性なので、足先、指先はもちろんのこと、鼻の頭まで冷たくなっちゃいます。
今年はオジサン臭いですが養命酒でも飲みはじめようかと・・・。
やっと12月のリサイタルの曲目も決まり、プログラムもほぼ完成で、後は印刷屋さんに入稿するまでになりました。
ってもうすぐ12月に入っちゃうので遅いのですが・・・。
プログラムを考えるのに、何を歌うかとりあえず書き出してみたら250曲以上になりそこから頑張って絞ったのですが、それでも曲数が多いのです・・・。
当日、自分の体力と精神力が持つのか、今から心配でなりませんが。
ひとまず練習あるのみですね。
最近、教えている専門学校の関係でさまざまなポピュラーソングを資料として聴きますが、その中で数日前になんだかじんわりと涙が出てきた歌があります。好きになりそうなので、いつかは歌いたいなぁと思います。
16日のリサイタルが終わったらその詞を載せようかな・・・。
その代わりと言ってはなんですが同じCDに入っていた曲から。
「切手のないおくりもの」
私からあなたへ
この歌をとどけよう
広い世界にたった一人の
わたしの好きなあなたへ
年老いたあなたへ
この歌をとどけよう
心やさしく育ててくれた
お礼がわりにこの歌を
夢のないあなたへ
この歌をとどけよう
愛することの喜びを知る
魔法(まほう)じかけのこの歌を
知りあえたあなたに
この歌をとどけよう
今後よろしくお願いします
名刺(めいし)がわりにこの歌を
別れゆくあなたに
この歌をとどけよう
淋(さび)しい時に歌ってほしい
遠い空からこの歌を
2006.11.28.大畑 理博
昨日、地元の富山で演奏会だったのですが、そこで演奏しました作品の詩を紹介いたします。
作曲は木下牧子先生で、詩人は工藤直子先生です。
僕は工藤直子先生の詩が大好きです。
「のはらうた」「てつがくのライオン」など多数持っていますが、公園に行くときにやカフェに行くときなどお伴になることが多い詩集たちです。
初めて知ったのは、小学校の教科書に載っていた「のはらうた」からの数点で「おれはかまきり」「ねがいごと」などで凄く印象に残ったのを覚えています。
工藤先生の詩は飾ることなく紡ぎ出される温かな詩でしょうか。
心が安らかになり、元気にさせてくれます。
本当に温かいのです。
「いっしょに」
ここで ここで やすんでいきませんか
すこし すこし おはなししませんか
きのうみた ゆめのはなしや
あしたの おてんきのこと
かぜの はしるすがたや
ひかりの こぼれぐあいについて
そして あなたがどこからきて
どこへいくのかなども
ここで ここで やすんでいきませんか
すこし すこし おはなししませんか
ゆっくり ゆっくり うなずきあって
しばらくいっしょに すごしませんか
「あいたくて」
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた―――
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか―――
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうにくれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
2006.10.29 大畑 理博
富山では梅雨明け宣言をしてから、軽く30℃を越す日々が続き、室内ではエアコンで涼しく、一歩外に出れば灼熱の太陽が強い日差しを注ぎ、身体の疲労度が日に日に増しているような気がします。
また、なかなか夕立もありません・・・。
スケジュールにもありましたように、8月1日から1週間の日程で行われた声楽サマーセミナーも無事に終了しました。
修了コンサートでは石渡日出夫作曲の「鹹湖(かんこ)」を演奏いたしました。大戦前、中国の極寒の地へ送還された方の、望郷の念が歌われたものです。先生方にも大変好評を頂き、うれしく思っております。
セミナー期間中は、久しぶりにお会いした方や初めての方など、様々な方との出会いの場でもあり、情報交換の場でもあります。今回で4回目になりますが、今年もセミナーに参加することが出来、大変有意義な1週間でした。
また、普段お話しすることの出来ない先生方とじっくりお話が出来、アドヴァイス等をいただくことが出来ました。それは本当に財産です。まだ先生方のおっしゃられたことがわからないこともたくさんありますが、これから少しずつ咀嚼出来たと思っています。
今回は修了演奏会で歌いました「鹹湖」の詩を添えて。
鹹湖 矢島嘉久
ひょうひょうと 風鳴りて
碧空(あおぞら)に 雲ちぎる
遙けくも われの来しかな
いにしへの 朔北の地
軍旅(いくさたび) 旅をかさねて
あゝ遠く われも来しかな
渡り鳥 遠くゆき
死の湖(み)ぎは 秋早し
何故か 心はいたむ
帰る日の はてなき思ひ
☆★☆新着ニュース☆★☆
Scheduleに9月24日の演奏会を追加いたしました。
P.S. 腰のほうはだいぶ痛みも取れよくなってきました。
2006.8.9.大畑 理博