久しぶりにコンサート会場ではない場所で歌ってきました。
なんだか聴いている方が近いってこんなに緊張するものだったかと、始めは戸惑いましたが、逆に皆さんの反応が感じられて良かったです。
特に反応があったのが「月の砂漠」
何か幼少の頃を思い出される方が、多いようです。
非常にエキゾチックなインパクトのある作品のように思います。
「月の砂漠」加藤まさを
月の砂漠を はるばると 旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて 二つならんでいきました
金の鞍には銀の甕 銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに 紐で結んでありました
さきの鞍には王子様 あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの 白い上着を着てました
ひろい砂漠をひとすじに 二人はどこへいくのでしょう
朧にけぶる月の夜を 対の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えていきました 黙って越えていきました
画像は会場でもらった花束です。
2007.6.22.大畑 理博
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九州地方は台風が上陸しているようで、皆さんの地域ではいかがですか?
僕の地元、富山県の立山町近辺では、ず~っと雨模様で一昨日からちょっとの晴れ間を待っていましたと言わんばかりに、稲刈りが急ピッチに進み全盛期です。
かく言う僕の実家も農家ですので同じなのですが。
今日は、ちょっとですが稲刈りではなく、籾摺りのお手伝いをしました。
いやはや久しぶりに農作業しましたが、結構きますね。たぶん明日は全身筋肉痛間違いなし。 って今の段階で、もうかなりきてますが・・・。
でもなぜか腰は大丈夫なんですよね。 それが不思議。
やっぱり体はそういうのは慣れてるのでしょうか。 それとも遺伝子がそうさせるのでしょうか。
でも明日ド~ンとやってきたりして・・・。 それはそれでツラい(ToT)
さて本題。
15日金曜日、僕の、ある意味「本当の故郷」でミニコンサートを開かせていただきました。
その場所は富山県立中央病院。
1981年(昭和56年)2月9日4時13分、この病院の分娩室で北川先生(←母子手帳によると)の手によって大畑家の3男として、この世に誕生いたしました。
母は僕を産むのに5時間22分もかけてがんばってくれました。とても長かっただろうと思います。そんな母にまずは感謝。
思い起こせば、小学の中学年のちょうど今ごろ、台所をうろうろしていた僕が右上半身を火傷し、3ヶ月毎朝消毒しに母と通ったのもこの病院。
僕が尊敬するあの強く大きかった祖父がだんだん弱り亡くなったのもこの病院。
そんな色々な想い出がある病院で、入院生活やすらぎ事業「第90回ヒーリングコンサート」として歌いました。 歌ったのは、「ちいさい秋みつけた」「赤とんぼ」「里の秋」「夕日」など秋の歌を中心に30分ほどでした。
それで最後に、皆さんでということで「故郷」を歌いました。
僕の原点=生を受けた場所でこの歌を歌うこと。
当たり前のことですが、生まれたときに僕がこの生まれた病院で歌うとは誰も思わなかったでしょう。。。それはわかるはずもない僕自身、そして両親、家族、周囲の方々、病院のお医者さんやスタッフのみなさん。
「故郷」を歌いながら、なんだか不思議な感覚になりました。
小学生だったころの僕が母親とその辺に座って聴いているような・・・。
この病院で亡くなった祖父がどこかしらで座って聴いてくれているような・・・。
僕が、この病院で「歌」で恩返しというか、入院されている方や見守る家族の方、外来患者の方の前で歌うことが出来たということが・・・。
機会を快く与えてくださった病院関係者の方、そして、僕を生み育み、このような形で恩返しをさせてくれるまでに応援してくれた両親に感謝します。
故郷
作詞/高野辰之
作曲/岡野貞一
兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと
如何にいます 父母
恙無しや友垣
雨に風につけても
思い出ずる ふるさと
志を 果たして
いつの日にか 帰らん
山はあおき ふるさと
水は清き ふるさと
2006.9.17.大畑 理博
前回のDiaryで病院でのミニコンサートのことを書きましたが、無事に終わりました。(遅い報告になってしまいました。)
はじめは少なめだったのですが、段々と多くなっていき、最後にはどのぐらいいらしたでしょうか?
かなりの人数の方が聴いてくださいました。
病院では様々な方がいらして、本当に様々な状況、心境の中で演奏を聴いてくださったことを痛感させられました。
演奏が終わってから何人かの方が声をかけてくださいました。
あるご婦人は、ご主人が大変大きな手術をなさったらしく、2人ならんで僕の拙いながらの演奏を聴けたこと、それだけで嬉しくて涙が止まらなかったそうです。僕が歌い始めてから真ん中のほうにいらして、涙を流していらして凄く気になっていらした方だったので、こちらも声をかけて下さりとても嬉しかったです。手術を頑張った主人へのプレゼントの記念の一つになったとおっしゃって下さいました。
また、ある老齢の方は、久しぶりに「浜千鳥」を聴けてとても嬉しかったそうです。女学校の頃にお歌いになってお好きになったそうで、とても懐かしくその頃を思い出したそうです。
「青い山脈」を歌ったのですが、おじいちゃんが『やっぱいい歌だねぇ』とニコニコしながら手を振ってくださいました。
入院中の子どもだったのでしょうか?「お兄ちゃんお歌ありがとう」って笑いながらバイバイしてくれた女の子もいました。
中には、親子で入院なさっている方もいらして、「愛燦々」は知っていたけれど、あんないい歌だとは今回初めて知りビックリしたとおっしゃってくださいました。お母様でしょうか、何もおっしゃいませんでしたが、ニコッと微笑みゆっくりと僕の手を握ってくださいました。
みなさん「愛燦々」のときだけちょっと雰囲気が違って、お聴きになっていました。
聴きに来てくれていた母もとても良かったと言ってくれたので、何か音楽の天使が舞い降りたのでしょうか・・・。(笑)
でもみなさんそれぞれ、様々な想いがあり少しでも何か感じてくださった方がいるとわかって、本当に歌ってよかったと思いました。
愛燦々と この身に降って
心密そかな嬉し涙を 流したりして
人生って 嬉しいものですね
2006.7.7.七夕 大畑 理博
花冷えが終わったと思ったら、今度は雨でなんだか寒い東京です。。。
レスが遅くなりました。
今回の帰省はのメインはデイサービスでのボランティア演奏でした。
思い出すだけでも鳥肌が立つくらい嬉しい思いで一杯です。
最後には、手作りのものまで頂いて・・・。(画像参照ください。)
前のdiaryに1回目の感想等を書きましたが、2回目も僕にとってかけがえの無い日でした。
1回目では地元紙が取り上げてくれとても反響があり、2回目はそれを見て来てくださった方もいらっしゃったようです。地元ケーブルテレビも・・・。(いつか放送されるのでしょうか・・・。)
また僕を特集してくださった地元紙の記者の方もいらっしゃり、いつかの夕刊にそれが載る予定です。
当日には、演奏の場を提供してくださった病院の院長先生がわざわざ出迎えてくださり、演奏も聴いてくださいました。
この場を借りて、院長先生、またスタッフの皆様、それから仲介役を買って出てくれたその病院で働いている保育所からの友人に心から感謝申し上げます。
心打たれるばかりで、書き記すことの出来ない感情がたくさん溢れました。
奥のほうで、ベッドに横たわりながら一生懸命聴いてくださったおばあさんがいらっしゃいました。
はじめはそんなに反応を示されなかったのです。しかし、途中、僕も一生懸命だったので何の曲だったかはどうも思い出せず定かではありませんが、何回か泣いていらっしゃいました・・・。
歌には得体の知れない「力」があるんです。
僕はそれを実感しました。
脳のどこかで歌(音楽)とその人が生きてきた証(思い出)とがリンクし、感情が動かされるのでしょうか。
僕は「日本の歌」にこだわって歌ってきました。
そのこだわりがこのような形で、僕の糧となることが嬉しくてたまりません。
もっと勉強して、もっと色んな方に色んな形で演奏することが出来たら・・・。
なんだか感情が溢れるばかりで、まとまりの無い文章になってしまいました。
失礼致しました。
2006.4.10. 大畑 理博
もう4月に入り、新年度がスタートしましたね。
みなさんいかがお過ごしですか?
東京はもう満開の桜が散り舞ってしまっているのでしょうか???
いやぁしかしなんだか寒い。。。
っというのも今、地元富山に帰省しております。
東京も先週の木曜あたりから「花冷え」と言うんでしょうか、かなり冷え込みましたが・・・。
僕の目論見では、時期がずれて富山でも桜が見れるかと思いきや、寒すぎて蕾もキュッと縮こまってしまっている状態です。
今回帰省しているのは、地元の富山県立山町にある病院のデイサービスで歌わさせていただくためです。たまたま保育所からの同級生が勤めていて、相談したところ事がトントン拍子に進み、実現いたしました。
今日1回目が終わりました。もう1回、水曜に同じ内容ですが、させてもらうことになっています。
前回の慰問コンサート同様、みなさん終始笑顔で聴いてくださり、途中には口ずさんだり、手拍子をしてくださったり、こちらも幸せいっぱいで気持ちよく歌うことが出来ました。
一番前の席におじいさん3人が座ってらして、はじめはさほど反応が無く、ちょっと淋しかったんです。でも最後に近づくにつれて表情が出てきて、最後みんなで「故郷」を歌い終わったとき軽く拍手をなさり、なんだかうれしくて鳥肌が立ちました。
僕のつたない歌で、ほんの少しだけでも何か感じてもらえているのかと思い感動でした。
もう一つ。
今日は、最近とんと出かけることが減った僕の祖母も聴きたいと自ら言い、一番後ろで聴いていてくれました。普段、結構辛口な祖母。それゆえ、はじめはなるべく見ないようにしてたんですが、見たくなるのが「孫」ということと「演奏する立場」としてどんな反応をしているのかが気になって、チラッと見ました。
そうしたら、にこやかな笑顔で一緒になって口ずさんで歌ってくれていました。ほんと何年かぶりに見た穏やかな笑顔でしたよ。僕はおばあちゃん子だったので、それを見たらもっとうれしくなったり。。。
帰り車の中で、祖母は「好きな歌いっぱい歌ってくれてありがとう」って言ってくれました。なんだか涙が出ましたよ。おばあちゃん孝行したい僕としては本当にうれしかった。
2006.4.3.大畑 理博
今日は地元富山の老人ホーム(ふるさと敬寿苑)に慰問コンサートに行ってきました。
曲目は「早春賦」を皮切りに「うれしいひなまつり」「どこかで春が」「春がきた」「春の小川」「朧月夜」「七つの子」「花」「花かげ」「靴が鳴る」「チューリップ」「蝶々」「背くらべ」「茶摘」とかなり盛りだくさんで、早春~初夏にまつわる童謡唱歌を。(結構盛りだくさんでしかも、普通男は歌わないものも・・・。)
それと、昭和歌謡である「青い山脈」、そして定番の「川の流れのように」、そして最後にみんなで「故郷」を歌いました。トーク込みでたっぷり1時間ぐらいでしたでしょうか。。。
実はそれが感じられないくらいアッという間でした。
何故なら、聴いてくれてるおじいちゃんおばあちゃんが、手を叩きながら笑顔で一緒に口ずさんでくれるんです。
こちらも当たり前の如く自然と笑顔になりました。
表情で表せない方でも、目を見ると合図してくれたりして。。。
なんだか僕の歌いたかった『歌』ってこれなんだなと、歌いながらつくづく思いました。
お互いが笑顔になれるんですよ。
これほど幸せなことは無いです。
何か通じ合えたような気がしたんです。
前に読んだ本に「芸術は二つの心を結ぶもの。ただそれだけ」っていうのがありました。
僕の歌が芸術だとはおこがましいばかりでなく、口が裂けても言えませんが、今日は
「心と心が結ばれた」
そんな気がした一日でした。
でも最後にあるおばあちゃんが、わざわざ車椅子に乗って控室まで握手をしたいと来てくれたんですが、握手して僕の手を包んでくれたんです。
そのときのおばあちゃんと手が温かかったなぁ・・・。
僕もあんな温かな手になれるよう、歳を重ねていけたらと思います。
2006.3.9. 大畑 理博