「新いけばな主義」
http://bankart1929.com/archives/1777




横浜のBankART studio NYKまで来ました。
各流派の家元や理事、フローリスト、フラワーアーティストなど現代いけばなの作家さん27人による作品が広がっています。




今日は深谷正子と森重靖のパフォーマンスも拝見でき、ダンスとチェロといけばなという新しいコラボレーションに圧倒されました。




「いけばな」という概念は今回もいい意味で凄い勢いで揺るがされました。

以前、目黒雅叙園の展覧会の折に感じた疑問の一つの回答をいけばなで触れさせていただいた、古流かたばみ会家元の大塚理司先生にもお会いでき、とても腑に落ちる作品のオンパレードでした。

「新いけばな」と銘打っていますが、どこか本来の「いけばな」のスタンスに還っているという印象も受けました。



作品に触れるというより空間に一緒にいることで感じるもの。

外から内へ、そして、中へ、奥へ、また、外へ

静と動、活と死、こちら側と向こう側

いきたい衝動ととどまる理性

とても刺激の多い展覧会でした。



2017.6.28.大畑 理博
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桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命をかけて 我が眺めたり(岡本かの子)




桜の咲く前に岡本太郎の本を読んでいたら、上の歌を思い出しました

こんな思いで桜を見たことはなく、そこまでわざわざ赴くことは無かったので、そうか!!と思い今年はたくさんの桜を見る機会を得ました




どうしてこんなにも桜の花は人の心を動かすのでしょうか

昔から沢山の和歌短歌が詠まれています

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)


お先にと黙つて一枚の花びらが落ちて行くなり桜満開(奥村晃作)



もちろん近年はお花見というイベントと化した感は否めません

花を見ているのかそれを口実に集って飲んで騒いでいるだけなのか。。。

それでも人はその花に「スゴい!!」と感動を覚えます

そんなイベントに発展するほどの何かを知ってか知らずか桜はおごることなく毎年咲き散っていきます

桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰かも此処に 見えて散りゆく(柿本人麻呂)


ほんとうは桜は「咲くな」が本名ぞ 咲いたら後は散ってゆくだけ(田中章義)






いつから日本の花の代表のようになったのか…
色んな思いをめぐらせつつ来年もまた桜の花に出会えるように





2017.4.16.大畑 理博
僕は田舎育ちでもありますが

キレイだからと山から百合など色んな花を引っこ抜いて持ち帰ってきては庭にランダムに植えちゃったりする祖父(父方)

三本仕立てや懸崖とかの鑑賞菊を徹底的に拘りながら町の文化祭まで出展して賞とか取っちゃう祖母(父方)

小さなころ遊びに行って庭で遊んでたときにポキッと折ってしまった鈴蘭を大事そうに持たせてくれた祖父(母方)

パイナップルリリーという当時衝撃だった花が欲しいと駄々を捏ねてたらスーパーの袋に株ごと持たせてくれた祖母(母方)

洋シャクを庭に植えてたなと思ったらウチョウランの交配を始め息子が東京にいるから東京ドームに色んな花の展覧会を見にきてしまっていた父

生花をはじめ四季折々の自然花や茶花をどれだけの種類の花を知っているのだろう…と思ってしまう母

そんな家族に恵まれてなのか昔から好きで
様々な花の咲きはじめる今の季節にワクワクして
段々と家には花が増えています(笑)



【人はなぜ花を愛でるのか】
という壮大なテーマの本も読みはじめましたが人はなぜこんなにも花と関わるのでしょうか

嬉しくても
哀しくても
プレゼントとして
手向けとして
自分に



2017.3.17.大畑 理博
毎週5流派以上が参加して9週間に渡り開催されている目黒雅叙園の“百段階段×いけばな”ですが、僕は一昨年に実施されているのを知り、昨年はすべての周期にお伺いしました。
本年も時間を見付けては足繁く通っております。

元々好きだった“いけばな”の世界でしたが、こんなに沢山の流派があることを知らず、毎週様々な素晴らしい作品群を拝見させていただいたのですが、その中でも僕に鮮烈な衝撃と、“うた”に通づるインスピレーションを与えてくださった作品がありました。それは、

「古流かたばみ会」家元 大塚理司先生

のものでした。
昨年拝見した際、作品を眺めながら座っていらした先生の姿を、僕は会場を後にした際に三十一文字でこう表現していたのをTwitterで見付けました。


凜としてそこに佇む家元(おとこ)あり
花と間違うほど芯持ちて


そんな大塚先生がエントランスロビーを担当されるというのを開催概要で前々から知っており、楽しみにしながら先日伺ってまいりました。
エントランスホールの空間をどう彩りお使いになるのか。



入った瞬間の感想は
「圧巻」
その一言でした。

それぞれの流派が趣向を凝らして素晴らしい作品を展示していらっしゃいます。しかしながら
サンゴミズキと青竹の花材2種のみというシンプルな潔さ。
赤の曲線と緑の直線。
繊維の真っ直ぐさと茎の丸み。
主張もするし同化もする。
その場にありながら後ろの風景も、前の空気もすべていい意味で巻き込んでいく。
コンクリートの下に土が広がり、天井の上に空が広がる。

そして気付いたのは花が無い。

僕は“いけばな”に花が無いというのはかなり否定的だったのですが、その考えを根こそぎ覆された作品が前に現れたときはビックリしました。

この歳になってくると自分で構築してきた考えは、なかなか覆らないものだと思ってきたのですが。




初めの印象通り何度見ても、どの角度から見ても「圧巻」。

そんな感想を抱きながらポワワ~んとしていると、スラッとした紳士が近づいてきたと思ったら大塚先生でした。
ほんの少しの時間だけお話しさせていただきましたが、作品のことなどが聞けて有意義な時間となりました。


大輪の花が無くとも当たり前のごとく男(お)在り 咲けり盛(さけ)りと



2016.4.29.大畑 理博
櫻を見上げて櫻の樹の下を見て
自分の“うた”を考える日


上を見上げては花見と言う
でも
下にも花は力強く咲いている



上を見上げた後に
視線を下げたら色付いた花が
存在を放って咲いている



僕はこんな“うた”をうたおう!!!

そんな年度始めです。



2016.4.5.大畑 理博
週末帰省した際に庭散策


我ここにと大小関係なく花が咲き
太陽を求めてそれぞれに目一杯葉を広げ
春まっしぐらという感じ














定番から珍しいものまで
茶花から野草まで
色とりどりで
本当にワクワクしたなぁ








谷川俊太郎の詩
“春に”にあるように

地球からの
目に見えない
エネルギーの流れ

形を変えて表現する
それらに満ち溢れた魂の響宴


こんな穏やかにエネルギッシュに
そこに当たり前のように在る

そんな音楽が言葉が
身体から発せられたらいいだろうなと思う



2016.3.19.大畑 理博
ムラサキシキブ


ご近所のお宅のお庭に植えられているのを発見して、画像撮っちゃいました。

何故か昔から大好きなんですよねぇ…。。。
実家の庭に植えられてたんですけど、いつだったか…小学生のころだったかなぁ。。。
いつの間にかバサッと伐られてたときのショックは大きかったなぁ。。。
激怒はしなかったのですが、
何とも言えない…
もののあはれ…
っというか…
不思議な気持ちになったのを思い出しました。。。

哀愁というか郷愁というか。。。


あっ!!
執着だっ!!(笑)



2014.10.10.大畑 理博
東京では桜が満開になり、少しずつ舞い始めました。



昼も夜もぼやーっと眺めながら、ふと思い出す歌がいくつかあります。

桜を愛でるのが大好きな日本人。
元来の歌=和歌や俳句、詩、歌詞と様々な形で桜を題材に〈恋〉だったり〈惜春〉だったり〈人生観〉だったりを表現してきました。



その中で専門学校に勤務し始めた頃に出会った歌があります。
arpというアーティストの「桜」です。
本当はダメなのですが…歌詞の一部の転載です。



桜の花、舞う、風に、舞う、ひらり
繰り返す季節に出逢いと別れをまた 繰り返して
知っていくのは痛みと 切なさと はらり
そして最後には皆 独りで散ることを知る


宙を舞っていく 花吹雪 ひと ひら ふた ひら
数え切れないほどの雨に わたしは立ち尽くして…


桜の花、舞う、風に、舞う、ひらりらら
人を知るその度 孤独である自分も
知っていくけれど
だから人は求め合い また出逢い はらり
孤独知る程にまた 人が好きになっている
(Anzu Omiya)



2013.3.30.大畑 理博
久しぶりに短い時間ですが、実家に帰省しています。
庭を歩くと本当に花図鑑のように、様々な花たちが迎えてくれます。



華鬘草(ケマンソウ) 鯛釣草(タイツリソウ)
ちょっと調べてみました。

中国や朝鮮半島に分布する、毎年花を咲かせる多年草で、日本には15世紀の初め頃(室町時代)に入ってきたと言われているそうです。
ケマンソウの名前は花を寺院のお堂を飾る装飾品「華鬘(けまん)」に見立てて付けられたようですが、
長くしなるような花茎を釣り竿に、ぶら下がるように付く花を鯛に見立てた別名「タイ ツリソウ(鯛釣草)」のほうがピンきますね。

他の国では様々な呼び名があるようです。

欧米ではこの花が心臓に見えるようで、
英語名「bleedeng heart(血を流す心臓)」
ドイツ語名「tranendes Herz(涙を流す心臓)」
フランス語名「coeur-de-Jannette(ジャネット の心臓)」「coeur-de-Marie(マリーの心臓)」
などと呼ばれています。
中国名の「荷包牡丹(きんちゃくぼたん)」は何となく受け入れられやすいかもしれませんね。

様々な想像を掻き立てられる花だからこそ、国によっても様々な名前が命名されるのでしょうか。




2012.5.6.大畑 理博
昨日の東京は嵐のようでしたが、今日は穏やかでポカポカ陽気です。

仕事の合間に時間があったので、近くをプラプラしていたら東京ジャングルの中にも、春がやってきました。




























写真は代々木と新宿近辺ですが、コンクリートの隙間から一生懸命に生命の存在を示します。
僕もそうなりたいなぁ・・・と思った晝下がりの散歩でした。



2012新年度.大畑 理博



今日は鈴蘭です
別名は君影草だそうです



昔はどうも苦手な花だったのですが、最近好きになってきました

画像は実家の庭からです



鈴蘭の樹深く咲きてひに鮮[あら]た
鈴蘭の香強く牀に置きがたし
(飯田 蛇笏)



2010.5.24.大畑 理博



今日は馬酔木です。

他にアシビ、アセボ、アセミとも言うそうです。



2010.5.23.大畑 理博



今日は著莪の花です。

昔からこの不思議な紫というか蒼というか藍というか…


物凄く子どもながらに惹かれました

わざわざ何処かから引っこ抜いてきて、母に頼んで庭に植えてもらったのを覚えています
これが凄い繁殖力で広がって大変な思いをさせたのを覚えています



おぼめきて動く無数の日の斑あり
木下闇の群れたる著莪に
(宮 柊二)



下の画像は珍しい姫著莪です
実家の庭に絶えたと思っていたら、また復活しておりました






2010.5.22.大畑 理博



今日は紫蘭です。

和とも洋ともなんとも言えない紫色が僕の心を燻ります。

特に主張するわけでもないのですが。
なんだか気になる花です。

画像は近所の邸宅の前に咲いていたものを撮影しました。




君知るや 薬草園に 紫蘭あり(高浜虚子)



2010.5.13.大畑 理博



今日はミヤコワスレです。

「都忘れ」と書いたり「京忘れ」と書いたり。。。

紫や白のヒッソリとそして素朴に。
それでいて凛と咲く花です。


画像は雨上がり、大学の片隅に咲いていたものを撮りました。
誰に見られるでもなく、スッと咲いてました。





おぼえておきたいことは
忘れてしまい
忘れてしまいたいことは
けして忘れられず

にくらしいけれど
わたしのこころ
(星野富弘 全詩集Ⅱより)



2010.5.13.大畑 理博



今日は黄色いバラです。

初めて植木によるバラを購入してみました。
花屋にはあまりに様々な品種が並んでいる中、今回はふと目に留まった小さな黄色の花弁が多く咲くものにしました。

次々と咲き、この二輪が今シーズン最後になるかと思います。

ちなみに薄紫色の琉球硝子で作られた器に飾ってみました。







青空の青ふかく薔薇傷みけり

心たる日の薔薇さはにひらきけり
(木下夕爾)



2010.5.11.大畑 理博
どうして寒春季に咲く花は、葉に守られること無く、先に咲き誇って潔く散るものが多いのでしょうか…。
花によっては寒の戻りで雪に、寒風にさらされるというのに。







辛夷

三椏

黄梅

連翹

木蓮

満作





咲いているものを見ながら挙げていったので、その他にもたくさんあるかもしれません。


冬に耐え忍んだからこその、勝ち誇りの花なのでしょうか。
だから果て朽ちるまで木には居らず、潔いのでしょうか。

温かな陽差しと共に咲き、風と共に散る。

早春の花の気持ちがわかると、もっと心が豊かになるのでしょうか。
人として深みが出るのでしょうか。。。



2009.3.30.帰宅途中の寒風にふかれ携帯から 大畑 理博
みなさんいかがお過ごしですか?
今日の東京は大変暖かく、お花見日和です。


仕事に向かう途中に、キレイな桜が咲いている公園があります。
そこで仕事の時間まで少しあったので、ベンチに座ってコーヒーを飲みながらポワ~ンとのんびりしてました。

そこには家族ずれやカップルなどがシートを敷いてお花見してました。

そこにお母さんとたぶん僕の甥ぐらいだから4歳ぐらいかな?の男の子が手を引いてやってきました。
そして僕の横にお母さんと一緒に座ろうとした男の子が

「うぅわぁ~キレイだねぇ~」

と感動しながら言いました。

お母さんも

「そうだねぇ~」

と。



でもその男の子とお母さんの目線が違うのです。
お母さんはもちろん桜を見てるので、上に。
でも男の子は何故か下に。

僕は一瞬、凄くチグハグな光景に戸惑ってしまいました。



すると男の子が

「お母さん見てるとこ違うよ。」

と下を指差しました。

20080401013404


そこには仄かにでも光を放っている白い花がありました。

お母さんは

「そんな花いつでも見られるでしょう。
上の桜の花見てごらんなさい。
キレイよぅ。」

また見上げました。

男の子は不服そうに上を見上げた後、またすぐに足元にある白い花を見つめ、

「やっぱりこっちのほうがキレイだよ。」

っとお母さんに聞こえないように、つぶやきました。



僕はその少年の言葉にハッとさせられてしまいました。
もちろん実質身長の差があるとは言え、どうして足元にありながら気付かなかったのかという視野の狭さと、その少年の意志の強さ。そして感性。
道を歩いているときは、なるべく視野を広くしていたつもりですが、この時期はずっと上ばかり見つめていたのが現状です。
その少年は、全てを何の偏りもなく風景として捕らえ、自分にあった感性のままにその視点の先を見つめていたのです。
少年の心には、桜の花は心に響かなかったのでしょう。
もしかしたら、車からとか電車からとか別の方法で、もうすっかり見飽きてしまっていたのかもしれません。
いつも見れそうで実は足元に咲いている花のほうが、断然、新鮮に見えたのでしょう。

二人が帰るまでお母さんは桜を、少年はその白く薫る小さな花を眺めていました。

「帰ろうか」

とお母さんと共に手をつないで帰るとき、少年はその花に手を振っていました。

お別れしたのか、再会を誓ったのか、
少年はずっと会話をしていたのかもしれません。
何についてかはその少年にしかわかりませんが。



なんだか物語のような本当の話です。
少年がその心のまま育ってくれることを願ってなりません。
また自分ももっと偏見を捨てて、視野を広げていかなければと気付かされ、考えさせられました。

ありがとう。
たくやくん。

2008.3.29.大畑 理博
20080327235928
20080325005913
頑なな

塊から

解放され

宿っていた

ほのピンクの

生命が

生まれています

宇宙の

恵みを

受け

次々と

次々と



2008.3.22.大畑 理博