みなさんいかがお過ごしですか?
今日の東京は大変暖かく、お花見日和です。
仕事に向かう途中に、キレイな桜が咲いている公園があります。
そこで仕事の時間まで少しあったので、ベンチに座ってコーヒーを飲みながらポワ~ンとのんびりしてました。
そこには家族ずれやカップルなどがシートを敷いてお花見してました。
そこにお母さんとたぶん僕の甥ぐらいだから4歳ぐらいかな?の男の子が手を引いてやってきました。
そして僕の横にお母さんと一緒に座ろうとした男の子が
「うぅわぁ~キレイだねぇ~」
と感動しながら言いました。
お母さんも
「そうだねぇ~」
と。
でもその男の子とお母さんの目線が違うのです。
お母さんはもちろん桜を見てるので、上に。
でも男の子は何故か下に。
僕は一瞬、凄くチグハグな光景に戸惑ってしまいました。
すると男の子が
「お母さん見てるとこ違うよ。」
と下を指差しました。

そこには仄かにでも光を放っている白い花がありました。
お母さんは
「そんな花いつでも見られるでしょう。
上の桜の花見てごらんなさい。
キレイよぅ。」
また見上げました。
男の子は不服そうに上を見上げた後、またすぐに足元にある白い花を見つめ、
「やっぱりこっちのほうがキレイだよ。」
っとお母さんに聞こえないように、つぶやきました。
僕はその少年の言葉にハッとさせられてしまいました。
もちろん実質身長の差があるとは言え、どうして足元にありながら気付かなかったのかという視野の狭さと、その少年の意志の強さ。そして感性。
道を歩いているときは、なるべく視野を広くしていたつもりですが、この時期はずっと上ばかり見つめていたのが現状です。
その少年は、全てを何の偏りもなく風景として捕らえ、自分にあった感性のままにその視点の先を見つめていたのです。
少年の心には、桜の花は心に響かなかったのでしょう。
もしかしたら、車からとか電車からとか別の方法で、もうすっかり見飽きてしまっていたのかもしれません。
いつも見れそうで実は足元に咲いている花のほうが、断然、新鮮に見えたのでしょう。
二人が帰るまでお母さんは桜を、少年はその白く薫る小さな花を眺めていました。
「帰ろうか」
とお母さんと共に手をつないで帰るとき、少年はその花に手を振っていました。
お別れしたのか、再会を誓ったのか、
少年はずっと会話をしていたのかもしれません。
何についてかはその少年にしかわかりませんが。
なんだか物語のような本当の話です。
少年がその心のまま育ってくれることを願ってなりません。
また自分ももっと偏見を捨てて、視野を広げていかなければと気付かされ、考えさせられました。
ありがとう。
たくやくん。
2008.3.29.大畑 理博
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頑なな
塊から
解放され
宿っていた
ほのピンクの
生命が
生まれています
宇宙の
恵みを
受け
次々と
次々と
2008.3.22.大畑 理博
現在教えに行っている専門学校の今の2年生は、僕が初めて講師として受け持った最初の生徒で、恐らく忘れることの出来ない生徒たちだろうと思います。
卒業をもうすぐ控えているけれど、最近見る彼らの姿の大半は将来の不安と闘っています。
つい1年前、僕が学生から歩き始めた時のように。。。
とてもツラいと思うけれど、自分で解決していくしか無いものなんですよね。
僕は、下記に載せた詩のように頑張っていましたが、この詩を読んで少し解き放たれたのを覚えています。
笑うこと 田中 章義
はしゃいでいる人の
顔はいいのに、
はしゃごうとしている人の顔は
どうしてこんなにも
さみしいんだろう。
いろんなことに
無理しすぎているんだから
せめて、
笑うことにまで
苦労しなくていいんだよ、
きっと。
2008.3.6.大畑 理博