今日は地元の日中上野小学校と出身校である新瀬戸小学校で1時間ほどずつ歌ってきました
僕の出身の小学校はもう複式学級で、全校生徒が20人ちょっとの本当に小さな学校になってしまいましたが、
みんな元気いっぱいでした
日中上野小学校は初めてで、新瀬戸小学校は今年で三回目になりますが、
毎回思うことがあります
やはり子どもたちの興味や視点や感性は
どこまでも自由で果てしないです
「僕の歌に少しだけ耳を傾けてもらえますか?」
そんな気持ちにさせられる、きれいな子どもたちの目は、
本当にドキッとします
イタリアのものを歌ったのですが、意味がわからないからこそ、
そこから何かを見出そうと一生懸命、一点を見つめます
あの眼差しこそが、今の僕に足りないものなのかもしれないなと思ったり。。。
常にそこには“WHY?”がある
だからそれが探究心に変わる
そこに何かを見ようとする
底知れない自分なりの答えを見つけ出そうとする目
みんな今の眼差しを忘れず持ったまま、大きくなってくれればいいなぁ・・・

2011.11.25.大畑 理博
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先日家に帰ると、一通の封筒が来ていました
それは先週、音楽鑑賞会という名目で訪問した、地元の高野小学校の校長先生からのものでした
そしてその中には、聞いてくれた児童たちの感想が書いてありました
僕はその感想の中に、演奏している僕と子どもたちとの間には、感じ方の違いがあるのだと気付かされました
4年生のNくんは
「どうしてそんな声がでるんだろうかとかんがえてみたのですが、それは大畑さんは音楽が好きだからだと思いました」
<音楽が好き>だから彼らの前で、歌っているんですよね
凄く単純なことなのに、僕はその言葉にハッとさせられました
<声>と<音楽が好き>
結びつかないようで、結びつく何かをNくんは感じたのでしょうか・・・
大人は単純なことほど気付かなくなるものなのでしょうか。。。
それはとても哀しいことです
反省させられました
そして、2年生のAくんは
「つばさがほしくなりました。じゆうに、そらをとびまわりたくなりました。ロマンチストの豚も同じことを思っていたらおもしろいです」
その時には、2つの空にまつわる歌を歌いました
やなせたかしの詩による「ロマンチストの豚」
もう1曲は「翼をください」
共通しているのは“白い翼”です
片方は翼がはえて飛んで行ってしまう
そしてもう片方は翼が欲しいと懇願している
僕は別の歌としてだけ考えていたのですが、
Aくんは別曲だとしても、そこにはリンクする何かを見出したのかもしれません
僕はなんとなく選曲したつもりでしたが、よく考えたら共通点があるのです
この感想を読んだときは、なんだか自分に対して落胆で一杯でした。
1曲で完結してしまっている僕の音楽と、全部の曲を聴いてくれた上でのAくんに映った音楽の姿
本当に恥ずかしくなります
小学校に演奏に行くたびに
子どもたちには様々なことを常に教わります
単純な気持ちが積み重なって、自分が動かされているということ
そして、大きな視点と小さな視点の両方を持ち合わせること
来月も違う小学校の子どもたちの前で歌うけれど、
今度は何を教えてもらえるのだろう・・・
2011.11.1.大畑 理博