
稲が揺れる
ゆらゆらと揺れる
熱さ残る風に
ゆらゆらと揺れる
あなたが立っていた
その場所に
僕の影を
暮れいく陽で
うつしてみた
あなたはいつでも
無心に
そこに立ち
何かを求めていたのですか
そこに何をみていたのですか
夢が稲につまっていたのですか
夢を稲につめる為だったのですか
あなたの背中が
田圃からなくなって
何度目の盆を
経たのでしょう
こうして
穣る田圃を
息子が育てた
その稲を
孫はそれらを
直接見て一喜し
写真見て一憂し
遠く離れた地から
あなたの背中を追っています
刈る前の今も
ゆらゆら揺れているでしょうか
来年も再来年も
ゆらゆら揺れているでしょうか
2012.8.21.大畑 理博
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僕は経験していません。
67年という時を経て、今なお考えなければならない宿題が山積みです。
いつになったらこの宿題は解かれるのでしょうか。
帰省途中の特急で隣に座られたおばあさんといつしかお話をさせていただいていたら、突然、穏やかな顔をしてお話されました。
「あれっもう12時だわね
ラジオの前に訳もわからず座らさせられてね
あんな経験はもう嫌だと声を大にして言っているのに
戦争はなんで無くならないものね
オリンピックの平和の祈りも
当人たちには遠いのかしらね
昔の日本人がそうだったんだから仕方ないのかしら…」
経験をされている方々だからこそ、尚更重みのある言葉です。
僕がどんなに声を張り上げて反戦歌を歌おうとも、
経験されたおばあさんが眼にされた光景とその言葉の重みとは比べられるものでもなく。。。
途中で降りていかれるというおばあさんは、僕に向かっておっしゃいました。
「変な話に付き合わせて悪かったわねぇ
お歌を歌ってらっしゃるっておっしゃったわね?
私はもう先が短いし何も出来ないけど
あなたには伝えることが沢山出来るわ
そう願ってる」
「え?僕ですか?
僕にはそんな…」
「だって私、あなたに先ほど出会ったんだもの
私はあなたに託したわ」
一期一会って言いますが、こんな出会いってあるんですね。
なんだか「歌う理由」って色々あると思ってましたが、この出会いも僕のその1つになりそうです。
2012.8.15.大畑 理博