142年の歩み心に刻む 立山・新瀬戸小で休校式(北日本新聞より)
もう式典が行われてから一週間ほど経っておりますが。。。
僕の出身小学校が今年度をもって閉校致します。
過疎化、そして少子化が進んでのこと。
東京に出てきた身で子どもがいるわけでもないので、何か言える立場ではありません。
ただ出身校が無くなるのは
「淋しいなぁ…」
っという至極普通な感想です。
すでに保育所は無くなり、中学校は統合され廃校になっています。
幼馴染のなかには高校、そして短大とすべての出身校がそれぞれの理由で無くなっていっています。
小さいながらにもっと酷なことを強いられている在校児童たち。その中には僕の甥二人も含まれています。
大人の話し合いで廃校ではなく休校になったため、統合という形では無いために、それぞれ任意で小学校を選ぶという方式を取り、少なかったからこそ強かった子供たち一人一人の絆がバラけることになるそうです。
どんな想いでこの春休みを送っているのか想像出来ません。
本当に“淋しい”こと。
この“淋しさ”ってなんでしょうか。
気分が乗らないこともしばしば。学級委員長から始まり、児童会長や委員長などもしていたためか、小学生にして変な責任感とか背負うもの?みたいなのを勝手に感じて、緊張からか胃痛みたいなのとか、吐気とかもありました。
それでも当たり前のように通っていたんですよね。
学校が好き!!というより、先生、児童、地域の方々の絶妙な距離感の、あのこじんまりとしたコミュニティが好きだったんでしょう。
僕はあの田舎だからこその
育ち=教育
を受けられたことに誇りを持って、こうして東京にいます。
これからもそうでしょう。
文章にすることを躊躇っていたものは、このなんとも言えない
“淋しさ”
かもしれません。
休校記念誌には寄稿させていただきました。
その書誌には祖父、父弟妹、実兄、姪甥と卒業生名簿に名を連ねていました。
本当にお世話になったのだなと感慨深い想いです。
その寄稿を添えて。
現校舎が出来て間も無くの入学生でしたがまだまだ真新しく、体育館は工事中だったためランチルームでの入学式でした。
男5人女5人の計10人が同級生。その他大勢はおらず、みんなが主役でした。一人一人が際立ち、責任感や自立が育っていく。そんな環境だったのでしょう。
今思い返せば、他校では体験出来ないことが沢山でした。10分間全児童が合唱という形で音楽を共有しました。地域文化にも触れ、陶芸作品を作り、池田浄瑠璃を上演。ソフトボールで全国大会へ行くほど、放課後のクラブ活動が盛んに。夏にはグラウンドで盆踊り、冬には左義長。そして田植えから稲刈り、サツマイモを植え収穫。プールの西側では育ち方も知らなかった種を巻き成長を観察し、蕎麦打ちをして実食。観賞菊を一生懸命育てたこともありました。他小学校が断念する中、立山登山を決行。6年生の時には壁画を描き、伝統の版画カレンダーも制作しました。他にも沢山のことを経験したように思います。
目まぐるしく行事はやってくるのですが、それらは経験の宝石箱のようでした。誰もが疑いもなく懸命に取り組み、必死に考え、真剣に話し合い、そして行動する。とにかく忙しかったように思います。その中で様々な感情を抱きました。けれど凄く楽しかったのは事実です。何故なら本物に触れること、そこにリアリティが満ち溢れていたからです。振り返ってわかったことは、“本物に触れ愛でる事”で気付きと発見がもたらされ、そこから生まれ出た感情そのものを揺るがす時間が常に流れていたことです。僕の今の生業であり営みである“歌”は、これらを言葉と音楽で紡いだ表現方法であり、6年間に刺激され積み重ね培われたものが根源であり糧です。そんな僕に多大な影響を及ぼした小学校が休校になるのはとても淋しいことですが、“卒業生なんだ”と胸を張って言える誇り高い新瀬戸小学校に感謝します。
新瀬戸校の名をあげん。(平成5年卒業生)
2016.3.29.大畑 理博
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卒業を迎えたESPミュージカルアカデミー ミュージシャン科ヴォーカルコースのみなさんへ
(そして卒業はしなかったけれど平成26年度入学生のみなさんへ)
ご卒業おめでとうございます。
2年間の音楽に浸った学生生活はどうでしたか?
様々な想いを持ってこの時期を迎えていらっしゃると思います。
みなさんは僕が初めて講義を受け持った学生となりました。
授業を担当すると知った時は、果たして1年間も僕は何をするんだ…とても悩みました。
(ぶっちゃけ“え~っ。。。”ってなりました。)
それでも毎週木曜の本館2階で行ったあの授業は、僕にとってこれまでにない勉強になった時間でした。
不思議なものですね。
誰がどの辺に座っていたのかを鮮明に覚えています。
座る席が変わると周りとの関係や心情の変化がわかりましたし、様々なことが見えてきました。
誰とは言いません。
とりあえずボーッと授業受けてましたね。
バイト疲れですかね、寝ていたのを知っています。
前後でメモで会話してましたね。
イヤホンで音楽聴いてノッてましたよ。
Twitterで呟いてましたけれど。
何があったのかわからないけれど泣いてましたね。
LINEで会話してましたか?
次の授業のために必死に歌詞を書いて間に合いましたか?
誰かに言われたのか鏡を見て髪ずっと直してましたよね。
しっかしあなたたちギャーギャー叫びましたねぇ。。。
携帯ゲームはクリアできましたか?
それでも授業に出てくれてありがとう。
僕は性格上、直接的だったり抽象的だったり、話が行ったり来たりするし、わからないことだらけだったのではないでしょうか。
この場を借りてごめんなさいm(_ _)m
やはり人間ですから、苦手とか生理的に受け付けなかったとかいるでしょ?それが普通ですよ。
そして様々な理由により卒業されなかったみなさん。
その後、元気にしてますか?
音楽を続けていらっしゃる方いるでしょう。やめた方もいるでしょう。
それぞれの選択ですし、もしかしたら自らの意志ではなく、そうなってしまった方もいらっしゃることでしょう。
たくさんある選択肢の中からESPに入学したことは、みなさんにとっての分岐点だったのだと思います。
何か思うことがあって、人生の1ページとして衝動的な行動だったのではないでしょうか。
これから生きていく上で、過程として必要なことだったんだと思ってもらえたら嬉しいです。
今は思えなくても振り返った時にそう思ってもらえる時があればとても嬉しいです。
僕からみなさんへメッセージ
周りをあまり見渡しすぎて、己を沸き立たせる大切な何かを見失ってはいけません。
ただ、曖昧ではあるけれど“普通”という何とも言えない漠然としたものは知っててください。
みなさんそれぞれが本来備わっている性質の本“分”と“自”らの力量をさす語が“自分”です。
何をしたくて何が出来るかをしっかりと見極めて、それに向かって試行錯誤し実現していく・・・。
その切なる思いこそが、本当の“自分を探しだす”という行為のようです。
僕もまだ途中です。
これからずっとお互いに探していきましょう。
“自分”というものを。
応援しています!!!

2016.3.23.大畑 理博
週末帰省した際に庭散策
我ここにと大小関係なく花が咲き
太陽を求めてそれぞれに目一杯葉を広げ
春まっしぐらという感じ










定番から珍しいものまで
茶花から野草まで
色とりどりで
本当にワクワクしたなぁ




谷川俊太郎の詩
“春に”にあるように
地球からの
目に見えない
エネルギーの流れ
形を変えて表現する
それらに満ち溢れた魂の響宴
こんな穏やかにエネルギッシュに
そこに当たり前のように在る
そんな音楽が言葉が
身体から発せられたらいいだろうなと思う
2016.3.19.大畑 理博
30代後半突入記念 大畑理博 歌ってもいいですか?~20年の月日が流れて、紡ぐ“うた”~
なんとか終えることができました。
ご来場の皆様、誠にありがとうございました。
ご来場いただいた方から感想をいただいているのですが、皆さん良かったと言ってくださる作品がそれぞれ違うということは、楽曲を届けられているということでしょうか。
それが今回の何よりの収穫です。
しかしながら今回は何と言っても花粉症との闘いでした。
おそらくこんなに状態が悪かったのは、本番当日の朝にギックリ腰をやり、その夜会場ではステージに上がるのにかなりぎこちなく動きながら、新作の歌曲を演奏した以来かもしれません。。。
音感難聴気味で左右の耳の音程が若干違って聞こえてきたり、痰が絡み始めたり、鼻が詰まったりと。。。
この時期には本番を入れない…などという事も出来ますが、そんなことはただの甘えな感じがして。
ここぞという時にテクニックを駆使しないといけないわけですが、逆に言うといつもそうでないといけないわけですよね。
猛反省でした。
いつも教えている学生、生徒さんたちに教えている以上、もっと精進して様々なアプローチを考えないといけないです。
そんな積み重ねでしょうか。


本日のセットリストは以下です。
手紙~拝啓 十五の君へ~
マイバラード
時の旅人
心の瞳
翼をください
旅立ちの日に
愛のうた
Story
Piece of my wish
3月9日
春よ、来い
☆アンコール☆
花は咲く

2016.3.5.大畑 理博