7月に開催するソロリサイタルのチラシに掲載させていただいた花入の作家、陶芸家の釋永由紀夫先生が新宿の柿傳ギャラリーで個展をされているということで伺ってきました。

越中瀬戸焼 釋永 由紀夫 白と黒のかたち展



今回は“白”と“黒”にすることでより“かたち”にフォーカスされていました。

釋永先生の作品に触れ、そしてお話をさせていただいていると、心の底に淀んでしまった感情が、枯渇化しそうな感受、感性を一言一言を巧みに紡いでらまた湧き上げてくださいます。

僕にとっては
《気付き》
の師匠でしょうか。

それは芸術のこと、暮らしのこと、生きること。

今だから書けますが、実は数年前までお話しするのがとても苦手でした。
それは何故か。
真実をありのまま、感情的にならずにお話になる。
突き刺さってくる言葉たち。
その言葉は表面ではなく、裏でもなく、その向こう側にこそ真意が存在している。




作品を拝見すればするほど、その重みは増していきました。
その度に僕は恥ずかしいというか、なんとも言えない気持ちになっていたのです。
それでも個展が開かれる際には伺いたくなる。

《そこにあることの魅力》

もっと早くに気付くべきだったし、それは祖父も父も僕に言ってくれていたことなのです。
言葉は違えども
「彼をしっかりと見ていなさい。真っ直ぐな人だ。お前には到底真似のできないほどの。」
と。




今回の作品は面取りをした作品が多く、“かたち”に目がいきました。
これまでに無いと思って伺ったら、20代の頃に一度制作していた頃があり、それが昇華出来なかったそうです。
昨年に花入の依頼があったそうで、それを出した時に、沸々と今なら…と思われたそうで、そこからそれらの“かたち”の作品をもう一度取り組んだそうです。



そうか。
今は完成させて自分の中では不完全で昇華出来なくても、もう一度時を経て、いつかその日が来た時に練り直せばいいのか。

やはり《気付き》でした。



2016.6.19.大畑 理博
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