今日で父の2年目の命日となりました。
日曜には三回忌の法要も終わりましたが、「もう」なのか「まだ」なのか、フワフワと実感のないわからないままの状態でいます。
ただ、ふと淋しいものが込み上げてくるのは事実です。
さてこれはいつまで続くのでしょう。
故人というのは頭の中に変わることなく留まり、思い出が幾多募っても過去であって現在にはなく、生きている者たちだけの時間がただ過ぎて、進んでいるような残されているような。
だから忘れるものは無く、より濃くなっていくものなのかもしれません。
先日のリサイタルで自分の言葉をテキストに、声楽作品にしていただきました。
《想い》という形の無かったものが言葉として“文字”になり、そして形を変えて“音”になった時の、あのなんとも言えない気持ちは味わうことがなかなか無いように思います。
まさに飾り気もないただの戯言の塊のようなものでかなり稚拙ではありますが、それを紹介したいと思います。
鳥井俊之先生が作曲してくださった『故郷に』という作品は、逝去の連絡をもらってから2ヶ月間ほどの、ずっと巡っていた出来事や心情を組み合わせたものです。今思えば、とにかく紛らわせるために、溜まるものの行き場として文字にしていたのかもしれません。
『故郷に』大畑 理博
・力なく指からはらり落ちる切符 泪とともに拾う 震える
・母の背の向こう側に父の遺影「今日もおんなじ顔してますね」
・眼を閉じた冷たき父に還すもの 僕の頭に残された声
ー通夜後にー
・仏とか星とか風にならないで その肉体と魂のままで
・父よ父 自らの血を献り 治らぬ病 何故と問うたか
ー式準備にてー
・変わらずにそこに貴方がいらっしゃるそう思っていた額になるまで
ー火葬後ー
・墓に入る前の骨壺持ち抱く時 その重みはまさしく父
ー「千の風になって」を歌ってー
・星となり 光となり 風となり 残像の亡父 ただうたとなる
ー「故郷」の二番からー
・如何にいます父母 と歌えば亡き父の姿はより鮮明に
・「ひろ」と呼ぶ頭の中に声はあり これを外には出せないものか
・木々たちよ夕の光を吸い込むな 時の経つ淋しさ込み上げる
・雨に濡れていたいと希う夜でした 親不孝の躰浄める為
・爪を切るその行為にも父の跡 かなり深爪 爪痕痛し
父は《いのち》というものを大切にし、とても愛でていました。
それは季節の移ろいや行事であったり、自然現象であったり、機器や道具であったり、もちろん生物であったりと、豊かに生きていく上での《いのち》に関わる全てのものだったように思います。
その一つであった花と父の姿とを重ねた言葉を、德永洋明先生が『花の命』という作品を作曲してくださいました。
『花の命』大畑 理博
・花盛り 生きようとするそのはなに 覚悟というを教えられ 散る
・われはここ カメラのピント 花にあり 風に揺れてもおさまるは君
・潔く音を立て終え逝くさだめ 紅い椿に永久の眠りを
そして一部の最後に歌った「くちなし」という高野喜久雄 作詩、髙田三郎 作曲の作品。
今年初めて東京の家と実家に梔子を購入しました。
東京のものは八重に咲くもので花と香りを愛でました。
実家のものは一重でしたのでこれから実がつくのでしょうか。

くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
(高野喜久雄 「くちなし」より)
2016.7.22.大畑 理博 拝
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以前から存じ上げていながら今回が初共演となる、ソプラノの平井裕子さんにお誘いいただき、旅にしあれば~團伊玖磨と日本のうた~の再演に参加させていただくことになりました。
コンセプトが作曲家の團伊玖磨先生が執筆なさった「旅にしあれば」「パイプのけむり」「好きな歌 嫌いな歌」などにでてくる楽曲を、解説、文中の朗読、そして演奏というこれまでとは違った形式でお送りするコンサートとなっております。
僕は團伊玖磨 作曲のあまり演奏される機会のないアンサンブル「オスモとコスモ」をはじめ、山田耕筰「この道」「待ちぼうけ」、森繁久彌「知床旅情」などを演奏させていただく予定です。
どうぞよろしくお願いします。
詳細は下記の通りです。
旅にしあれば~團伊玖磨と日本のうた~
日時:8月20日(土)15:00開演(14:30開場)
場所:洗足学園音楽大学シルバーマウンテン1Fチケット:3000円(全席自由)
出演:堀江眞知子(ソプラノ)、鈴木麻里子(ソプラノ)、平井裕子(ソプラノ)、前田ヒロミツ(テノール)、大畑理博(バリトン)、山田武彦(ピアノ)、鈴木雄介(チェロ)
堀江一眞(朗読)、山崎篤典(解説)


2016.7.24.大畑 理博
大畑理博 ソングリサイタル
~いのち、ひびく、うたう~
お陰様をもちまして、無事に終了致しました。

お暑い中、お忙しい中、足をお運びいただきました皆様、本当にありがとうございました。
また、本番は来られないからとリハーサルに、そしてご丁寧にご連絡をいただきました皆様、そして支えていただきました皆様のお心遣い、誠にありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げるとともに、感謝申し上げます。

温かな雰囲気に包まれての、私事私情満載でお送りしたプログラムとなってしまいましたが、本当にやってよかったと自負しております。
そして父との約束を少なからず果たせたのではないかと思っております。
“いのちとはただ 待ちぼうけのことではないか”
こちらに会中にお話しさせていただいた僕が“日本のうた”に拘ってきた理由を書こうと思いましたが、整理しきれないのでまたの機会に。

そしてこれも私事ですが来年もソロリサイタルを開催させていただこうかと企画中です。
テーマは“故郷”
富山で生まれ育った年月と東京での生活の年月がちょうど18年と半分になります。
その間に日本国内でも“故郷”の変容を目の当たりにしてきましたが、果たして富山は。。。
少し考える時間に出来たらと思います。
また、ご案内させていただきます。
実家のピアノとテーマの一つ梔子

演奏会の写真を撮るのを忘れておりました。。。
2016.7.16.大畑 理博 拝