僕の“とにかくうたいたい”という衝動から生まれたこの企画、今年も開催させていただくこととなりました。

ライヴなのかコンサートなのかはどちらでもよく、クラシックなのかポップスなのかも関係ない大畑理博による“うた”をお送りします。
今回は「半分」をクローズアップします。
何が半分かというと、東京に出てきたのが18年前の1999年。
生まれてから地元の富山に18年、大学の進学のため上京してきて18年。
本当に長かったような短かったような。
うたうのと並行して教えるという仕事を始めたのも大学一年生の時。
うたうのか?教えるのか?みたいな時期もありましたが、どちらもやったらいいじゃないかと思うようになれました。
四季や時の流れというものを感じさせる楽曲
そして
僕ならこうするかな?という生徒さんたちのレッスン楽曲
この2つをコンセプトにお送りします。
共演は昨年、演奏会でご一緒した若手のピアニストの尾崎 風磨くんをお迎えします。
いつもこんな企画に快く賛同して下さる、各線四ッ谷駅から3分ほどのところにあります四ッ谷 SOUND CREEK doppoさんにて今回も行わさせていただきます。
もしお時間よろしければ足をお運びいただければと思います。
よろしくお願い致します。
まだまだ寒い日が続きます。
どうぞご自愛ください。
2017.1.25.大畑 理博
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智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
あどけない話/高村光太郎
「智恵子抄」の中の印象的な詩ですが、この後も続いていきます。
毎日見上げていると光太郎とは違った視点から、東京の空はきれいなんじゃないかと思うことが最近増えてきました。
僕が育った田舎では考えられない空が東京に広がっている気がします。
宙に浮く通路があって建設途中でなければ見られない空。

生活の中に地下鉄の出口がなければ見上げない空。


あった建物が壊されてまた見えてきた空。

そしてそこに建物があるからこそ見える空。


何が本当かの考える余地があるにせよ、僕には美しく見えてくる空があります。
東京だからこそ。
2017.1.17.大畑 理博
新年明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
皆様にとって良き年となりますようお祈り申し上げます
2017年、平成29年は酉年ということで年男となります。
決して24歳ではなく一回り先を行くことになりますが、もう急ぐことはなく、それでも止まることなく、前を向いて入られたらなと思います。
僕の実家の敷地内に神社が立っております。
そこには曾祖父が書いたものがありました。
先祖たちの36歳はどんなものだったのだろうと想いを馳せつつ。
2017.元日.大畑 理博 拝