卒業を迎えたESPミュージカルアカデミー ミュージシャン科ヴォーカルコースのみなさんへ
(そして卒業はしなかったけれど平成27年度入学生のみなさんへ)
気持ちの良い晴れた日。
ご卒業おめでとうございます。
2年間の音楽を通した眼差しで過ごした学生生活はいかがでしたか?
様々な想いがありながらこの日を迎えられているでしょう。
皆さんとは1年次に全員が否が応でも受けなければいけない講義の授業を担当し、
また、一部の皆さんは実技も担当させていただきました。
授業を受けてくれて本当にありがとう。
僕が苦手だった人、嫌いだった人もいるでしょう。人間だもの。
それでも心からありがとう。
皆さんには色んなことを見て欲しくて、聴いて欲しくて、覚えて欲しくて、知って欲しくて…様々なことを言ったように思います。
あぁ全然興味ないし…ということだったかもしれない。
何回も同じことマジうるさいな…と思うことだったかもしれない。
そんなの知らないし…というものだったかもしれない。
わけわかんない…だったかもしれない。
いつしか直面する何かを感じ取って欲しい!!という僕のエゴだったのかもしれません。
この場を借りてごめんなさいm(_ _)m
そして様々な理由により卒業されなかったみなさん。
その後は変わらずに元気にしていますか?
音楽や歌はどうされていますか?やめた方ももちろんいるでしょう。
それでも心のどこかに気持ちが声になって、気持ちと重なって鼻唄が生まれ出てくれたら、それは音楽が芽生えた瞬間です。
そういうものがこれからずっと残ってくれるだけで僕はとても嬉しいです。
このご時世にたくさんある選択肢の中からESPに入学したことは、これからのみなさんにとっての何かしらのきっかけであり通過点であり、これからの糧になる時間であったのだと思います。
今はその感覚でなくても構いません。
いつしか思い出してくれるだけで嬉しいです。
☆僕からみなさんへのメッセージ☆


池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添ってるよ
私達がこんな風であれたら…
この歌詞から始まる「to U」という楽曲を授業で扱ったのを覚えていますか?
池の水になりたいのか…空の蒼になりたいのか…それとも水鳥になりたいのか…僕はそれらを問いながら生きています。
光そのものになりたいと思ったこともあるし、それにずっと照らされるものになりたいと思ったこともある。
影はマイナスイメージだけれど、それらがないといけないこともある。

矛盾なく寄り添うことは日常に溢れているのに、どちらか決めなければならないときがあるかもしれません。
難しい選択を強いられたとき、人は悩み、たじろぎ、戸惑います。
けれどもその“こたえ”そのものは必然に自分の奥底では決まっていることもあるかもしれません。
これから生きていく上で選択をすることが増えていきます。
結論や結果ばかりを追い求めすぎず、自分の納得できる矛盾のない“こたえ”が導き出されることを祈っています。
応援しています!!!
2017.3.22.大畑 理博
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僕は田舎育ちでもありますが
キレイだからと山から百合など色んな花を引っこ抜いて持ち帰ってきては庭にランダムに植えちゃったりする祖父(父方)
三本仕立てや懸崖とかの鑑賞菊を徹底的に拘りながら町の文化祭まで出展して賞とか取っちゃう祖母(父方)
小さなころ遊びに行って庭で遊んでたときにポキッと折ってしまった鈴蘭を大事そうに持たせてくれた祖父(母方)
パイナップルリリーという当時衝撃だった花が欲しいと駄々を捏ねてたらスーパーの袋に株ごと持たせてくれた祖母(母方)
洋シャクを庭に植えてたなと思ったらウチョウランの交配を始め息子が東京にいるから東京ドームに色んな花の展覧会を見にきてしまっていた父
生花をはじめ四季折々の自然花や茶花をどれだけの種類の花を知っているのだろう…と思ってしまう母
そんな家族に恵まれてなのか昔から好きで
様々な花の咲きはじめる今の季節にワクワクして
段々と家には花が増えています(笑)

【人はなぜ花を愛でるのか】
という壮大なテーマの本も読みはじめましたが人はなぜこんなにも花と関わるのでしょうか
嬉しくても
哀しくても
プレゼントとして
手向けとして
自分に
2017.3.17.大畑 理博
本日ご来場いただきましたみなさま
そして
温かいメッセージをいただきましたみなさま
誠にありがとうございましたm(_ _)m

3.11という日にうたえて
本当に良かったと思える日でした

「うたうこと」への意味を最近ふと思うことがあるのですが、そういうのはどうでもいいことだということもわかった気がします
とにかく
うたうことは生きることの証
呼吸と同じでやめてしまったら死んじゃうかもと思いました(笑)
もしその理由を考えるなら
いつか必ず来るであろう私のいのちを終えるときに初めて考えればいいことなのかもなと思いました
これを胸にまた“うたうこと”と共に生きたいと思います
2017.3.11.大畑 理博
理由なく私はまたうたうでしょう終焉になるそのときまで