父の命日参り
7年の月日が経ちました



57年前の1964年/昭和39年
さきの東京オリンピックの際に
足の速かった高校生の父は陸上部に所属していたからか
聖火ランナーとして地元を走ったらしい

日本歌曲を勉強している身として
高野喜久雄 詩、髙田三郎 曲の
『ひとりの対話』という歌曲集の終曲「くちなし」を思い出すことが多々ある
今年も自宅のハナクチナシが薫り高く咲いているが
詩中に出てくる
【ひたすらに こがれ生きよ】
これがどんな意味を示すのか40を超えてやっとなんとなーくわかってきた気がする



合掌
南無阿弥陀仏

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たまに父の声が聞こえるときがある
もちろん記憶の片隅にある声が脳内再生で聞こえるときもあるが
自分が声を発したときにどこか声が似ているからかリアルに聞こえたように感じるときもある

そして父の姿を見るときがある
父と僕と背丈が似ているからシルエットを見たときや
鏡の中の笑った顔を見て
父の笑ったときの細い目と目尻に出来るシワは
本当に似てきたなと思うことがある



2021.7.22.大畑 理博
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