実家が昔からお世話になっている地元 正覚寺さんのご紹介により、かなり歴史のある富山県小矢部市にある津梁山 願稱寺さんの本堂でコンサートをさせていただくことになりました。
四季のうたと仏教讃歌を中心のプログラムです。
ピアニストには大学時代からお世話になっている老月千晶さんです。


大畑理博 うたコンサート~むすぶ、つなぐ、ひろがる~

日時:2017年6月4日(日)14:00開演
会場:津梁山 願稱寺本堂(富山県小矢部市西中)
料金:入場無料
共演:老月千晶(ピアノ)
ふるさと、四季の歌、この道、生きる、ひかりあふれて、上を向いて歩こう 他



2017.4.16.大畑 理博
卒業を迎えたESPミュージカルアカデミー ミュージシャン科ヴォーカルコースのみなさんへ
(そして卒業はしなかったけれど平成27年度入学生のみなさんへ)

気持ちの良い晴れた日。
ご卒業おめでとうございます。
2年間の音楽を通した眼差しで過ごした学生生活はいかがでしたか?
様々な想いがありながらこの日を迎えられているでしょう。

皆さんとは1年次に全員が否が応でも受けなければいけない講義の授業を担当し、
また、一部の皆さんは実技も担当させていただきました。

授業を受けてくれて本当にありがとう。
僕が苦手だった人、嫌いだった人もいるでしょう。人間だもの。
それでも心からありがとう。

皆さんには色んなことを見て欲しくて、聴いて欲しくて、覚えて欲しくて、知って欲しくて…様々なことを言ったように思います。
あぁ全然興味ないし…ということだったかもしれない。
何回も同じことマジうるさいな…と思うことだったかもしれない。
そんなの知らないし…というものだったかもしれない。
わけわかんない…だったかもしれない。
いつしか直面する何かを感じ取って欲しい!!という僕のエゴだったのかもしれません。

この場を借りてごめんなさいm(_ _)m


そして様々な理由により卒業されなかったみなさん。
その後は変わらずに元気にしていますか?
音楽や歌はどうされていますか?やめた方ももちろんいるでしょう。
それでも心のどこかに気持ちが声になって、気持ちと重なって鼻唄が生まれ出てくれたら、それは音楽が芽生えた瞬間です。
そういうものがこれからずっと残ってくれるだけで僕はとても嬉しいです。

このご時世にたくさんある選択肢の中からESPに入学したことは、これからのみなさんにとっての何かしらのきっかけであり通過点であり、これからの糧になる時間であったのだと思います。
今はその感覚でなくても構いません。
いつしか思い出してくれるだけで嬉しいです。


☆僕からみなさんへのメッセージ☆




池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添ってるよ
私達がこんな風であれたら…

この歌詞から始まる「to U」という楽曲を授業で扱ったのを覚えていますか?
池の水になりたいのか…空の蒼になりたいのか…それとも水鳥になりたいのか…僕はそれらを問いながら生きています。
光そのものになりたいと思ったこともあるし、それにずっと照らされるものになりたいと思ったこともある。
影はマイナスイメージだけれど、それらがないといけないこともある。



矛盾なく寄り添うことは日常に溢れているのに、どちらか決めなければならないときがあるかもしれません。
難しい選択を強いられたとき、人は悩み、たじろぎ、戸惑います。
けれどもその“こたえ”そのものは必然に自分の奥底では決まっていることもあるかもしれません。

これから生きていく上で選択をすることが増えていきます。
結論や結果ばかりを追い求めすぎず、自分の納得できる矛盾のない“こたえ”が導き出されることを祈っています。

応援しています!!!



2017.3.22.大畑 理博
僕は田舎育ちでもありますが

キレイだからと山から百合など色んな花を引っこ抜いて持ち帰ってきては庭にランダムに植えちゃったりする祖父(父方)

三本仕立てや懸崖とかの鑑賞菊を徹底的に拘りながら町の文化祭まで出展して賞とか取っちゃう祖母(父方)

小さなころ遊びに行って庭で遊んでたときにポキッと折ってしまった鈴蘭を大事そうに持たせてくれた祖父(母方)

パイナップルリリーという当時衝撃だった花が欲しいと駄々を捏ねてたらスーパーの袋に株ごと持たせてくれた祖母(母方)

洋シャクを庭に植えてたなと思ったらウチョウランの交配を始め息子が東京にいるから東京ドームに色んな花の展覧会を見にきてしまっていた父

生花をはじめ四季折々の自然花や茶花をどれだけの種類の花を知っているのだろう…と思ってしまう母

そんな家族に恵まれてなのか昔から好きで
様々な花の咲きはじめる今の季節にワクワクして
段々と家には花が増えています(笑)



【人はなぜ花を愛でるのか】
という壮大なテーマの本も読みはじめましたが人はなぜこんなにも花と関わるのでしょうか

嬉しくても
哀しくても
プレゼントとして
手向けとして
自分に



2017.3.17.大畑 理博
本日ご来場いただきましたみなさま
そして
温かいメッセージをいただきましたみなさま
誠にありがとうございましたm(_ _)m



3.11という日にうたえて
本当に良かったと思える日でした



「うたうこと」への意味を最近ふと思うことがあるのですが、そういうのはどうでもいいことだということもわかった気がします

とにかく
うたうことは生きることの証
呼吸と同じでやめてしまったら死んじゃうかもと思いました(笑)

もしその理由を考えるなら
いつか必ず来るであろう私のいのちを終えるときに初めて考えればいいことなのかもなと思いました

これを胸にまた“うたうこと”と共に生きたいと思います



2017.3.11.大畑 理博

理由なく私はまたうたうでしょう終焉になるそのときまで
僕の地元 富山県中新川郡立山町新瀬戸地区、実家から歩ける距離のところに在住、そして出身の画家、瓦職人、書家などたくさんの芸術を重んじる方々がいらっしゃいます。

その中で際立っているのが「新瀬戸」という地域の名前にもなるぐらい歴史の深い陶芸家のみなさんです。



その陶芸家5人が数年前にお集まりになって結成された“かなくれ会”の新宿での初めての展覧会を拝見するため伺ってきました。

庄楽窯 釋永由紀夫さん
釋永陽さん
四郎八窯 加藤聡明さん
千寿窯 吉野香岳さん
枯芒ノ窯 北村風巳さん

全員の陶芸家が在廊なさっておりましたが、皆さん纏っていらっしゃる空気感が“新瀬戸”そのもので、新宿にいながら地元に帰ったような気持ちになりました。


それぞれの個性が存分に発揮されている作品を拝見していると、感嘆させられるとともに烏滸がましくも不思議と嫉妬心というか憧れというか…。

芸術を為す者は嫉妬する…まさにこれです。

僕は音楽という瞬間的にその空間に放たれるものを自分を通して振動させて表現しているわけですが、陶芸家の皆さんは土からおつくりになり、生み出してからずっとその空間に存在する表現をされている。
それは日常の生活に使用されるもの、茶事に使用されるもの、鑑賞されるもの、用途は様々だけれどもまさにどこにいてもそこに存在する。

変化するという意味では同じだけれども、音楽のようにその一瞬の空間だけを満たすわけではない、煌めきと輝きに翻弄され満たされ揺さぶられ…羨ましいという気持ちで一杯になりました。



2017.2.26.大畑 理博
本当にいつぶりだろう…と思うほど久しぶりに
たまたま時間が出来たので
当てもなくゆっくり時間の流れるままに
上野をブラブラしてみました





師匠ありがとうございます

通学途中の公園や学舎にも行ってみて
ちょっとだけ初心に帰った感じもしたけれど
何も考えないでもドキドキワクワクしていたあの頃とは何かがだいぶ違うかな



受験戦争に終止符を打ってから
何年か通うことにはなったのですが
上京したころはその余裕はなく
在学中はそんな興味もなく
卒業してからは上野という地からも遠ざかり
たまに行くときはスケジュールの合間で…

っとゆっくり歩き回ることは無かったからか知らないことだらけでした

公園は整備がされてかなり綺麗になり
あったものは無くなり無かったものが出来ており

風景にはカフェやスカイツリーまで増えている
でも上野動物園や西郷さんはそこにいらして



学校に行くには公園口側がほぼだったのですが
飲み会とか現実逃避というサボりとか(笑)のときにただ通るだけだった袴腰広場には大寒桜が咲きはじめていました



時期が来たら思うがまま
ここぞというとき咲くんだもんな

こういう時間をちゃんと作らないと
感情とは違う感覚?五感の幅?みたいなものが
枯渇するのかもしれないと思った日



2017.2.19.大畑 理博
今日は36回目の誕生日でした
たくさんの方からSNSやLINE、messenger、メールなどお祝いのお言葉をいただきました
幾つになっても嬉しいことは変わりないです


感謝を忘れたことはないけれど、この歳になってもふと母からお祝いの電話がきました
お互いに歳をとりましたね(笑)という会話はここ数年の普通となりましたが、携帯電話の音質が毎度向上されているのか、余計にはっきりと声が聞こえてくるわけです
そのおめでとうの言葉の声の成分は、僕を含め息子たちの「母」から、孫たちの「おばあちゃん」に近付いたなぁとつくづく思いました
それは老いではなく穏やかな歳の取り方をしてきた声でした


今回の36という歳は富山で生まれて育って18年、それから東京に出てきて18年
ちょうど半分の歳となりました
富山出身東京在住になれましたが、東京のほうが長くなることに突入していくということで、少し立ち返ってもいいのかなと思っています


専門学校の後期試験問題に
「“うたうこと”とは何か?」
というものを学生に問いました
とても難解な問題だったろうと思います
“うたうこと”は難しくもあり簡単でもあります
「僕はここですよ!!」と胸を張って【うたうこと】ができたら。。。
そしてそれらを超えて、大好きな詩人の谷川俊太郎さんが武満徹のソングて仰っている【うたうだけ】と言えるよう精進していきたいと思います
どうぞよろしくお願いします










(写真は現在から遡ってみました…みなさんが僕と出会ったのはどの辺ですか?途中18年ほどブランクありますが抱っこしてるのは父と祖父)



2017.誕生日.大畑 理博 拝
箱根に行ってきました
毎年この時期に伺っています

そこに変わらずにあることの恩寵
年月が何かを形作る物語
刻一刻と必ず移ろって行く宿命

そんなものに触れたかもしれません



太陽はあって
深く空が広がり
雲は輪廻転生を繰り返す
湾に沿って海は漂い
山は隆起して
湖は水を煌めかす

風はどこまでも自由で
木々はそれに従う
雪は水と氷を行き来し
土も石も呼応する

ヒトは作った
大きなものを抱いて
後から追いかけるように
前からあるものに導かれて

時は一定に自らを刻む
肯定も否定もせず
容赦はない
残酷なまで
すべてが平等に
時を経験する

いのちは寄り添う
呼吸するように



2017.2.8.大畑 理博
僕の“とにかくうたいたい”という衝動から生まれたこの企画、今年も開催させていただくこととなりました。



ライヴなのかコンサートなのかはどちらでもよく、クラシックなのかポップスなのかも関係ない大畑理博による“うた”をお送りします。

今回は「半分」をクローズアップします。
何が半分かというと、東京に出てきたのが18年前の1999年。
生まれてから地元の富山に18年、大学の進学のため上京してきて18年。
本当に長かったような短かったような。
うたうのと並行して教えるという仕事を始めたのも大学一年生の時。
うたうのか?教えるのか?みたいな時期もありましたが、どちらもやったらいいじゃないかと思うようになれました。

四季や時の流れというものを感じさせる楽曲
そして
僕ならこうするかな?という生徒さんたちのレッスン楽曲
この2つをコンセプトにお送りします。

共演は昨年、演奏会でご一緒した若手のピアニストの尾崎 風磨くんをお迎えします。

いつもこんな企画に快く賛同して下さる、各線四ッ谷駅から3分ほどのところにあります四ッ谷 SOUND CREEK doppoさんにて今回も行わさせていただきます。
もしお時間よろしければ足をお運びいただければと思います。
よろしくお願い致します。

まだまだ寒い日が続きます。
どうぞご自愛ください。



2017.1.25.大畑 理博
智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ

あどけない話/高村光太郎


「智恵子抄」の中の印象的な詩ですが、この後も続いていきます。

毎日見上げていると光太郎とは違った視点から、東京の空はきれいなんじゃないかと思うことが最近増えてきました。

僕が育った田舎では考えられない空が東京に広がっている気がします。

宙に浮く通路があって建設途中でなければ見られない空。


生活の中に地下鉄の出口がなければ見上げない空。



あった建物が壊されてまた見えてきた空。


そしてそこに建物があるからこそ見える空。




何が本当かの考える余地があるにせよ、僕には美しく見えてくる空があります。
東京だからこそ。



2017.1.17.大畑 理博
新年明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
皆様にとって良き年となりますようお祈り申し上げます


2017年、平成29年は酉年ということで年男となります。

決して24歳ではなく一回り先を行くことになりますが、もう急ぐことはなく、それでも止まることなく、前を向いて入られたらなと思います。

僕の実家の敷地内に神社が立っております。
そこには曾祖父が書いたものがありました。
先祖たちの36歳はどんなものだったのだろうと想いを馳せつつ。



2017.元日.大畑 理博 拝
2016年、平成28年がもうすぐ終わろうとしている朝です

でも「大晦日」のはじまりであり、
2017年、平成29年に向かっていく朝です

「晦日(みそか)」は
「みそか(三十日)」と書き
「月の三十日目」を意味していたが転じて月末を表すようになり
「大晦日」はその後年内で最後の晦日
「年神様(としがみさま)」を迎える新年行事
になったそうですよ!!

毎年この文章を見るまで『大晦日ってなんだっけ?』と思ってしまいます(笑)
はじまりの日とおわりの日の境目のワクワクドキドキする日と覚えておけばいいのかもな
毎年この大晦日はその年を振り返りますが
終わるような…始まるような…不思議な気分になります
常にスタートを切っているような
そしてゴールを目指しているような

夏のリサイタルで
【いのちとはただ 待ちぼうけのことではないか】
とうたいました
待ちぼうけはどちらのベクトルなのでしょうね
こちらが向かっていくのか
向こうからやってきて迎え入れているのか
良いお年を!!はどちらなんだろう。。。

本年もこちらの投稿では「いいね!」や「メッセージ」を賜り、誠にありがとうございました
来年もどんな年になるのか本当に楽しみです
こんな愚生ではありますが、変わらずどうぞよろしくお願い致します
それでは良いお年をお迎えください



2016.大晦日.大畑 理博 拝
季節の移り変わりを五感で吸収したい

自然と人工が作るそこにある色彩を観たい

とにかく感じたい!!

そんな思いから駒込にある“六義園”に行って来ました
ライトアップが開催されている時期ということで、夜に仕事のない日に行ってまいりました



自然の色彩が
照明によって変化する



自在に柔和に誇示しながら
水鏡に写ることが許され
風が吹けば樹々も揺れ水面も揺れ
輝きと翳を作り出す


















当たり前のことではあるけれど
それは現代の照明によって為されたこと
月が出ていなければ観ることの出来ない世界



2016.12.1.大畑 理博
学生のころからお世話になっている声楽の師匠 黒田博先生のリサイタルに赴きました。
それはまさしく“匠の師”そのものでした。

感想は言葉にするとなんだかとても安っぽく浅い感じがするのでやめます。
ただ、カッコ良かった!!




先生は普通に演奏されていたんだと思います。
ただ受け取り側の僕の心位置の問題だったのか、全編を通してメッセージのようなものを感じました。
怒られているとか説教されているというようなものとは違っていて、諭されているような導いてくださっているような。

“一度元に戻れ”と黒田先生と出会った19歳のときに還されるようなそんな感覚でした。

(出来の悪い生徒でしたので先生の内心がどうだったのかは知る由もありませんが)
実際にレッスンのときに怒られたり…説教されたり…ということは一度もありませんし、そのようなことは仰らない穏やかな先生です。
それなのに毎回のレッスンやお話させていただく中で、ストンと音を立てて中に入ってくる果てしない真実を仰います。

それは音楽を通して、それは声を通して、それは言葉を通して、それは舞台姿を通して、
最近わだかまっていたものへの問いと気付きを内側に放ってくださった時間でした。

初めのレッスンで「造花になれるといいのかもしれない」と仰ったころに還っているような。



2016.11.26.大畑 理博
前まであれだけ毎日飽きないでやっていたのに最近全然やってないなぁ…

って皆さんにはありませんか?

僕は“自炊”

上京して15年以上も続けていたのにパタッとやめていました
それは新しいところに引っ越してからガスコンロではなくIHコンロになったのとなんとなくなんとなく面倒になったなどの理由なのですが。。。

っということでまた復活しました“自炊”

まず簡単なところからというのと新ジャガをいただいたので、材料がほぼ同じの
【カレー】と【肉じゃが】
やっぱり楽しかった
好きみたいです料理が(笑)







アレンジ加えたりしながらもですが、もっと様々なものを作ろうかなと思ってます







2016.11.6.大畑 理博
本年も無事に伺って参りました
奥秩父にある三峯神社へ
御眷属をお返しし新しいものを拝借に





昨年も凄いところだなと思いましたが今年もかなり思わされました



歩いていると思い出した詩がありました
どこかから引き出されたみたいです
とても優しい詩です

【空気】
花のまわりで 花の形
ボールのまわりで ボールの形
ゆびのまわりで ゆびの形

そこに ある物を
どんな物でも そこにあらせて
自分は よけて
その物をそのままそっと包んでいる
自分の形は なくして
その物の形に なって…

まるでこの世のありとあらゆる物が
いとおしくてならず
その ひとつひとつに
自分でなってしまいたいかのように
(まどみちお)



そして僕の頭の中に浮かんだ言葉たち

【包まれている】
わたしたちは包まれている
何かに包まれている
それは目に見えるものかもしれないし
そうじゃないかもしれない

そこに立ってごらんなさい
何かに包まれているでしょう
それは動いているものかもしれないし
止まっているものかもしれない

目を瞑って見てみましょう
耳を塞いで聴いてみましょう

触れても
突いても
投げても
握っても
叩いても
抱いても

ほら
やっぱりあなたは包まれている
(大畑 理博)









2016.11.2.大畑 理博
この度、声楽会員として在籍しております創立50周年を迎えました日本歌曲振興会 波の会の秋の定期演奏会に出演させていただくこととなりました。

今回演奏させていただくのは新作の「降る雪に」。
作詩は以前、歌集も読んだことがある石川出身の高原桐先生。
作曲は北海道在住の精力的に活動されている江尻栄先生です。

“雪”をテーマに高原先生の石川、江尻先生の北海道、そして僕は富山ですので、それぞれ日本の雪国ではございますが、地域によってどこか違う“雪”。
それらに思いを馳せながら、故郷を思うそれぞれの“雪”が表現できたらと思っております。





2016.9.17.大畑 理博
【富山県近郊在住の皆さまへ】

TOYAMAヴォーカルソレイユさんに誘っていただきましてイベント

『第29回 2016となみ夢の平コスモスウォッチング』




10月15日(土)にご一緒させていただくことになりました。
これまで向日葵畑はありましたが、一面のコスモスに囲まれてうたうのは初めてです!

夢の平スキー場のかなりの数のコスモスは圧巻で有名ですが、今回初めて伺わせていただきます。
花好きの僕としては楽しみで仕方ありません!!
是非とも晴れて欲しいなと思っています。

三連休中日で運動会など様々に予定があるかと思いますが、もしお時間がございましたら色とりどりのコスモスを楽しみつついらしてください。



(最後に…夢の平でスキーをしたことはありません…)



2016.9.14.大畑 理博
ここ最近は何をしていたかというと
なんだかずっと空を見ていた気がします

それは東京で
それは富山で

それは朝で
それは晝で
それは夕で
それは夜で

それは楽しいとき
それは哀しいとき
それは嬉しいとき
それは悔しいとき

ソロリサイタルを終えて
感情の起伏が激しくなっていたのかもしれません

空は何も変わらない

雲は流れ出来は消えて
太陽は昇って降りて
星は速く動き遅く輝いて
そして月は満ちて欠けて

変わるものと変わらないもの

それをただ自分と重ねて
見ていたかったのかもしれないです



2016.8.30.大畑 理博
今日で父の2年目の命日となりました。
日曜には三回忌の法要も終わりましたが、「もう」なのか「まだ」なのか、フワフワと実感のないわからないままの状態でいます。

ただ、ふと淋しいものが込み上げてくるのは事実です。

さてこれはいつまで続くのでしょう。
故人というのは頭の中に変わることなく留まり、思い出が幾多募っても過去であって現在にはなく、生きている者たちだけの時間がただ過ぎて、進んでいるような残されているような。
だから忘れるものは無く、より濃くなっていくものなのかもしれません。


先日のリサイタルで自分の言葉をテキストに、声楽作品にしていただきました。
《想い》という形の無かったものが言葉として“文字”になり、そして形を変えて“音”になった時の、あのなんとも言えない気持ちは味わうことがなかなか無いように思います。
まさに飾り気もないただの戯言の塊のようなものでかなり稚拙ではありますが、それを紹介したいと思います。

鳥井俊之先生が作曲してくださった『故郷に』という作品は、逝去の連絡をもらってから2ヶ月間ほどの、ずっと巡っていた出来事や心情を組み合わせたものです。今思えば、とにかく紛らわせるために、溜まるものの行き場として文字にしていたのかもしれません。

『故郷に』大畑 理博
・力なく指からはらり落ちる切符 泪とともに拾う 震える
・母の背の向こう側に父の遺影「今日もおんなじ顔してますね」
・眼を閉じた冷たき父に還すもの 僕の頭に残された声
ー通夜後にー
・仏とか星とか風にならないで その肉体と魂のままで
・父よ父 自らの血を献り 治らぬ病 何故と問うたか
ー式準備にてー
・変わらずにそこに貴方がいらっしゃるそう思っていた額になるまで
ー火葬後ー
・墓に入る前の骨壺持ち抱く時 その重みはまさしく父
ー「千の風になって」を歌ってー
・星となり 光となり 風となり 残像の亡父 ただうたとなる
ー「故郷」の二番からー
・如何にいます父母 と歌えば亡き父の姿はより鮮明に
・「ひろ」と呼ぶ頭の中に声はあり これを外には出せないものか
・木々たちよ夕の光を吸い込むな 時の経つ淋しさ込み上げる
・雨に濡れていたいと希う夜でした 親不孝の躰浄める為
・爪を切るその行為にも父の跡 かなり深爪 爪痕痛し


父は《いのち》というものを大切にし、とても愛でていました。
それは季節の移ろいや行事であったり、自然現象であったり、機器や道具であったり、もちろん生物であったりと、豊かに生きていく上での《いのち》に関わる全てのものだったように思います。
その一つであった花と父の姿とを重ねた言葉を、德永洋明先生が『花の命』という作品を作曲してくださいました。


『花の命』大畑 理博
・花盛り 生きようとするそのはなに 覚悟というを教えられ 散る
・われはここ カメラのピント 花にあり 風に揺れてもおさまるは君
・潔く音を立て終え逝くさだめ 紅い椿に永久の眠りを

そして一部の最後に歌った「くちなし」という高野喜久雄 作詩、髙田三郎 作曲の作品。
今年初めて東京の家と実家に梔子を購入しました。
東京のものは八重に咲くもので花と香りを愛でました。
実家のものは一重でしたのでこれから実がつくのでしょうか。



くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
(高野喜久雄 「くちなし」より)



2016.7.22.大畑 理博 拝
以前から存じ上げていながら今回が初共演となる、ソプラノの平井裕子さんにお誘いいただき、旅にしあれば~團伊玖磨と日本のうた~の再演に参加させていただくことになりました。
コンセプトが作曲家の團伊玖磨先生が執筆なさった「旅にしあれば」「パイプのけむり」「好きな歌 嫌いな歌」などにでてくる楽曲を、解説、文中の朗読、そして演奏というこれまでとは違った形式でお送りするコンサートとなっております。
僕は團伊玖磨 作曲のあまり演奏される機会のないアンサンブル「オスモとコスモ」をはじめ、山田耕筰「この道」「待ちぼうけ」、森繁久彌「知床旅情」などを演奏させていただく予定です。
どうぞよろしくお願いします。
詳細は下記の通りです。
旅にしあれば~團伊玖磨と日本のうた~
日時:8月20日(土)15:00開演(14:30開場)
場所:洗足学園音楽大学シルバーマウンテン1Fチケット:3000円(全席自由)
出演:堀江眞知子(ソプラノ)、鈴木麻里子(ソプラノ)、平井裕子(ソプラノ)、前田ヒロミツ(テノール)、大畑理博(バリトン)、山田武彦(ピアノ)、鈴木雄介(チェロ)
堀江一眞(朗読)、山崎篤典(解説)


2016.7.24.大畑 理博
大畑理博 ソングリサイタル ~いのち、ひびく、うたう~ お陰様をもちまして、無事に終了致しました。 お暑い中、お忙しい中、足をお運びいただきました皆様、本当にありがとうございました。 また、本番は来られないからとリハーサルに、そしてご丁寧にご連絡をいただきました皆様、そして支えていただきました皆様のお心遣い、誠にありがとうございました。 この場をお借りして御礼申し上げるとともに、感謝申し上げます。 温かな雰囲気に包まれての、私事私情満載でお送りしたプログラムとなってしまいましたが、本当にやってよかったと自負しております。 そして父との約束を少なからず果たせたのではないかと思っております。 “いのちとはただ 待ちぼうけのことではないか” こちらに会中にお話しさせていただいた僕が“日本のうた”に拘ってきた理由を書こうと思いましたが、整理しきれないのでまたの機会に。 そしてこれも私事ですが来年もソロリサイタルを開催させていただこうかと企画中です。 テーマは“故郷” 富山で生まれ育った年月と東京での生活の年月がちょうど18年と半分になります。 その間に日本国内でも“故郷”の変容を目の当たりにしてきましたが、果たして富山は。。。 少し考える時間に出来たらと思います。 また、ご案内させていただきます。 実家のピアノとテーマの一つ梔子 演奏会の写真を撮るのを忘れておりました。。。 2016.7.16.大畑 理博 拝


7月に開催するソロリサイタルのチラシに掲載させていただいた花入の作家、陶芸家の釋永由紀夫先生が新宿の柿傳ギャラリーで個展をされているということで伺ってきました。

越中瀬戸焼 釋永 由紀夫 白と黒のかたち展



今回は“白”と“黒”にすることでより“かたち”にフォーカスされていました。

釋永先生の作品に触れ、そしてお話をさせていただいていると、心の底に淀んでしまった感情が、枯渇化しそうな感受、感性を一言一言を巧みに紡いでらまた湧き上げてくださいます。

僕にとっては
《気付き》
の師匠でしょうか。

それは芸術のこと、暮らしのこと、生きること。

今だから書けますが、実は数年前までお話しするのがとても苦手でした。
それは何故か。
真実をありのまま、感情的にならずにお話になる。
突き刺さってくる言葉たち。
その言葉は表面ではなく、裏でもなく、その向こう側にこそ真意が存在している。




作品を拝見すればするほど、その重みは増していきました。
その度に僕は恥ずかしいというか、なんとも言えない気持ちになっていたのです。
それでも個展が開かれる際には伺いたくなる。

《そこにあることの魅力》

もっと早くに気付くべきだったし、それは祖父も父も僕に言ってくれていたことなのです。
言葉は違えども
「彼をしっかりと見ていなさい。真っ直ぐな人だ。お前には到底真似のできないほどの。」
と。




今回の作品は面取りをした作品が多く、“かたち”に目がいきました。
これまでに無いと思って伺ったら、20代の頃に一度制作していた頃があり、それが昇華出来なかったそうです。
昨年に花入の依頼があったそうで、それを出した時に、沸々と今なら…と思われたそうで、そこからそれらの“かたち”の作品をもう一度取り組んだそうです。



そうか。
今は完成させて自分の中では不完全で昇華出来なくても、もう一度時を経て、いつかその日が来た時に練り直せばいいのか。

やはり《気付き》でした。



2016.6.19.大畑 理博
この度、地元の富山にて約7年ぶりにソロリサイタルを開催させていただきます。東京での公演は今のところ考えておりません。
亡き父がきっかけをくれたので、その三回忌に添えて。7月16日の三連休の初日です。
副題は
~いのち、ひびく、うたう~



チラシには今回のテーマとなる歌曲の一節を載せました。
“いのちとは ただ 待ちぼうけの ことではないか”
この言葉は詩人 高野喜久雄によって「いのち」という詩として紡がれました。
晩年、難病により〈待つこと〉を我々に示した父と呼応するように。
そしてチラシを作る際にどうしようかと考えていたところ、ふと父と親交のあった方に託し、お願いしてみようと思い、同じ地域の陶芸家 釋永由紀夫氏に依頼。快諾くださり送られてきた写真は、和室に置かれた素敵な花入と刺された3本の薔薇でした。
掲載した詩「いのち」に“薔薇は棘 人は言葉で”とあります。まさにフィットという感じです。

歌曲、そして今回のための委嘱作品、童謡、ポップスと、僕が感じている~いのちとうたがひびくとき~をテーマに集めます。
ピアニストには作品の委嘱をきっかけにお世話になっている、著名な方々の共演者としても第一線で活躍される鳥井俊之先生をお迎えします。
ご多忙とは存じますが、足をお運びいただけたら幸いです。
2016.5.吉日.大畑 理博 拝
毎週5流派以上が参加して9週間に渡り開催されている目黒雅叙園の“百段階段×いけばな”ですが、僕は一昨年に実施されているのを知り、昨年はすべての周期にお伺いしました。
本年も時間を見付けては足繁く通っております。

元々好きだった“いけばな”の世界でしたが、こんなに沢山の流派があることを知らず、毎週様々な素晴らしい作品群を拝見させていただいたのですが、その中でも僕に鮮烈な衝撃と、“うた”に通づるインスピレーションを与えてくださった作品がありました。それは、

「古流かたばみ会」家元 大塚理司先生

のものでした。
昨年拝見した際、作品を眺めながら座っていらした先生の姿を、僕は会場を後にした際に三十一文字でこう表現していたのをTwitterで見付けました。


凜としてそこに佇む家元(おとこ)あり
花と間違うほど芯持ちて


そんな大塚先生がエントランスロビーを担当されるというのを開催概要で前々から知っており、楽しみにしながら先日伺ってまいりました。
エントランスホールの空間をどう彩りお使いになるのか。



入った瞬間の感想は
「圧巻」
その一言でした。

それぞれの流派が趣向を凝らして素晴らしい作品を展示していらっしゃいます。しかしながら
サンゴミズキと青竹の花材2種のみというシンプルな潔さ。
赤の曲線と緑の直線。
繊維の真っ直ぐさと茎の丸み。
主張もするし同化もする。
その場にありながら後ろの風景も、前の空気もすべていい意味で巻き込んでいく。
コンクリートの下に土が広がり、天井の上に空が広がる。

そして気付いたのは花が無い。

僕は“いけばな”に花が無いというのはかなり否定的だったのですが、その考えを根こそぎ覆された作品が前に現れたときはビックリしました。

この歳になってくると自分で構築してきた考えは、なかなか覆らないものだと思ってきたのですが。




初めの印象通り何度見ても、どの角度から見ても「圧巻」。

そんな感想を抱きながらポワワ~んとしていると、スラッとした紳士が近づいてきたと思ったら大塚先生でした。
ほんの少しの時間だけお話しさせていただきましたが、作品のことなどが聞けて有意義な時間となりました。


大輪の花が無くとも当たり前のごとく男(お)在り 咲けり盛(さけ)りと



2016.4.29.大畑 理博
櫻を見上げて櫻の樹の下を見て
自分の“うた”を考える日


上を見上げては花見と言う
でも
下にも花は力強く咲いている



上を見上げた後に
視線を下げたら色付いた花が
存在を放って咲いている



僕はこんな“うた”をうたおう!!!

そんな年度始めです。



2016.4.5.大畑 理博
142年の歩み心に刻む 立山・新瀬戸小で休校式
(北日本新聞より)


もう式典が行われてから一週間ほど経っておりますが。。。

僕の出身小学校が今年度をもって閉校致します。
過疎化、そして少子化が進んでのこと。

東京に出てきた身で子どもがいるわけでもないので、何か言える立場ではありません。
ただ出身校が無くなるのは
「淋しいなぁ…」
っという至極普通な感想です。

すでに保育所は無くなり、中学校は統合され廃校になっています。
幼馴染のなかには高校、そして短大とすべての出身校がそれぞれの理由で無くなっていっています。

小さいながらにもっと酷なことを強いられている在校児童たち。その中には僕の甥二人も含まれています。
大人の話し合いで廃校ではなく休校になったため、統合という形では無いために、それぞれ任意で小学校を選ぶという方式を取り、少なかったからこそ強かった子供たち一人一人の絆がバラけることになるそうです。
どんな想いでこの春休みを送っているのか想像出来ません。


本当に“淋しい”こと。
この“淋しさ”ってなんでしょうか。


気分が乗らないこともしばしば。学級委員長から始まり、児童会長や委員長などもしていたためか、小学生にして変な責任感とか背負うもの?みたいなのを勝手に感じて、緊張からか胃痛みたいなのとか、吐気とかもありました。
それでも当たり前のように通っていたんですよね。
学校が好き!!というより、先生、児童、地域の方々の絶妙な距離感の、あのこじんまりとしたコミュニティが好きだったんでしょう。

僕はあの田舎だからこその
育ち=教育
を受けられたことに誇りを持って、こうして東京にいます。
これからもそうでしょう。


文章にすることを躊躇っていたものは、このなんとも言えない
“淋しさ”
かもしれません。


休校記念誌には寄稿させていただきました。
その書誌には祖父、父弟妹、実兄、姪甥と卒業生名簿に名を連ねていました。
本当にお世話になったのだなと感慨深い想いです。

その寄稿を添えて。
現校舎が出来て間も無くの入学生でしたがまだまだ真新しく、体育館は工事中だったためランチルームでの入学式でした。
男5人女5人の計10人が同級生。その他大勢はおらず、みんなが主役でした。一人一人が際立ち、責任感や自立が育っていく。そんな環境だったのでしょう。
今思い返せば、他校では体験出来ないことが沢山でした。10分間全児童が合唱という形で音楽を共有しました。地域文化にも触れ、陶芸作品を作り、池田浄瑠璃を上演。ソフトボールで全国大会へ行くほど、放課後のクラブ活動が盛んに。夏にはグラウンドで盆踊り、冬には左義長。そして田植えから稲刈り、サツマイモを植え収穫。プールの西側では育ち方も知らなかった種を巻き成長を観察し、蕎麦打ちをして実食。観賞菊を一生懸命育てたこともありました。他小学校が断念する中、立山登山を決行。6年生の時には壁画を描き、伝統の版画カレンダーも制作しました。他にも沢山のことを経験したように思います。
目まぐるしく行事はやってくるのですが、それらは経験の宝石箱のようでした。誰もが疑いもなく懸命に取り組み、必死に考え、真剣に話し合い、そして行動する。とにかく忙しかったように思います。その中で様々な感情を抱きました。けれど凄く楽しかったのは事実です。何故なら本物に触れること、そこにリアリティが満ち溢れていたからです。振り返ってわかったことは、“本物に触れ愛でる事”で気付きと発見がもたらされ、そこから生まれ出た感情そのものを揺るがす時間が常に流れていたことです。僕の今の生業であり営みである“歌”は、これらを言葉と音楽で紡いだ表現方法であり、6年間に刺激され積み重ね培われたものが根源であり糧です。そんな僕に多大な影響を及ぼした小学校が休校になるのはとても淋しいことですが、“卒業生なんだ”と胸を張って言える誇り高い新瀬戸小学校に感謝します。
新瀬戸校の名をあげん。(平成5年卒業生)



2016.3.29.大畑 理博
卒業を迎えたESPミュージカルアカデミー ミュージシャン科ヴォーカルコースのみなさんへ
(そして卒業はしなかったけれど平成26年度入学生のみなさんへ)

ご卒業おめでとうございます。
2年間の音楽に浸った学生生活はどうでしたか?
様々な想いを持ってこの時期を迎えていらっしゃると思います。

みなさんは僕が初めて講義を受け持った学生となりました。
授業を担当すると知った時は、果たして1年間も僕は何をするんだ…とても悩みました。
(ぶっちゃけ“え~っ。。。”ってなりました。)
それでも毎週木曜の本館2階で行ったあの授業は、僕にとってこれまでにない勉強になった時間でした。

不思議なものですね。
誰がどの辺に座っていたのかを鮮明に覚えています。
座る席が変わると周りとの関係や心情の変化がわかりましたし、様々なことが見えてきました。

誰とは言いません。
とりあえずボーッと授業受けてましたね。
バイト疲れですかね、寝ていたのを知っています。
前後でメモで会話してましたね。
イヤホンで音楽聴いてノッてましたよ。
Twitterで呟いてましたけれど。
何があったのかわからないけれど泣いてましたね。
LINEで会話してましたか?
次の授業のために必死に歌詞を書いて間に合いましたか?
誰かに言われたのか鏡を見て髪ずっと直してましたよね。
しっかしあなたたちギャーギャー叫びましたねぇ。。。
携帯ゲームはクリアできましたか?

それでも授業に出てくれてありがとう。

僕は性格上、直接的だったり抽象的だったり、話が行ったり来たりするし、わからないことだらけだったのではないでしょうか。
この場を借りてごめんなさいm(_ _)m
やはり人間ですから、苦手とか生理的に受け付けなかったとかいるでしょ?それが普通ですよ。

そして様々な理由により卒業されなかったみなさん。
その後、元気にしてますか?
音楽を続けていらっしゃる方いるでしょう。やめた方もいるでしょう。
それぞれの選択ですし、もしかしたら自らの意志ではなく、そうなってしまった方もいらっしゃることでしょう。

たくさんある選択肢の中からESPに入学したことは、みなさんにとっての分岐点だったのだと思います。
何か思うことがあって、人生の1ページとして衝動的な行動だったのではないでしょうか。
これから生きていく上で、過程として必要なことだったんだと思ってもらえたら嬉しいです。
今は思えなくても振り返った時にそう思ってもらえる時があればとても嬉しいです。


僕からみなさんへメッセージ

周りをあまり見渡しすぎて、己を沸き立たせる大切な何かを見失ってはいけません。
ただ、曖昧ではあるけれど“普通”という何とも言えない漠然としたものは知っててください。
みなさんそれぞれが本来備わっている性質の本“分”と“自”らの力量をさす語が“自分”です。
何をしたくて何が出来るかをしっかりと見極めて、それに向かって試行錯誤し実現していく・・・。
その切なる思いこそが、本当の“自分を探しだす”という行為のようです。
僕もまだ途中です。


これからずっとお互いに探していきましょう。
“自分”というものを。


応援しています!!!





2016.3.23.大畑 理博
週末帰省した際に庭散策


我ここにと大小関係なく花が咲き
太陽を求めてそれぞれに目一杯葉を広げ
春まっしぐらという感じ














定番から珍しいものまで
茶花から野草まで
色とりどりで
本当にワクワクしたなぁ








谷川俊太郎の詩
“春に”にあるように

地球からの
目に見えない
エネルギーの流れ

形を変えて表現する
それらに満ち溢れた魂の響宴


こんな穏やかにエネルギッシュに
そこに当たり前のように在る

そんな音楽が言葉が
身体から発せられたらいいだろうなと思う



2016.3.19.大畑 理博
30代後半突入記念 大畑理博 歌ってもいいですか?~20年の月日が流れて、紡ぐ“うた”~

なんとか終えることができました。
ご来場の皆様、誠にありがとうございました。

ご来場いただいた方から感想をいただいているのですが、皆さん良かったと言ってくださる作品がそれぞれ違うということは、楽曲を届けられているということでしょうか。
それが今回の何よりの収穫です。

しかしながら今回は何と言っても花粉症との闘いでした。
おそらくこんなに状態が悪かったのは、本番当日の朝にギックリ腰をやり、その夜会場ではステージに上がるのにかなりぎこちなく動きながら、新作の歌曲を演奏した以来かもしれません。。。

音感難聴気味で左右の耳の音程が若干違って聞こえてきたり、痰が絡み始めたり、鼻が詰まったりと。。。
この時期には本番を入れない…などという事も出来ますが、そんなことはただの甘えな感じがして。
ここぞという時にテクニックを駆使しないといけないわけですが、逆に言うといつもそうでないといけないわけですよね。

猛反省でした。

いつも教えている学生、生徒さんたちに教えている以上、もっと精進して様々なアプローチを考えないといけないです。

そんな積み重ねでしょうか。





本日のセットリストは以下です。

手紙~拝啓 十五の君へ~
マイバラード
時の旅人
心の瞳
翼をください
旅立ちの日に

愛のうた
Story
Piece of my wish
3月9日
春よ、来い

☆アンコール☆
花は咲く





2016.3.5.大畑 理博