六本木ヒルズ森タワーの海抜250mにある52階屋内展望台「東京シティビュー」と海抜270mにある屋上「スカイデッキ」に行ってきた話





渋谷の先に見える富士山の脇を沈んでいく夕陽
新宿のビル群
東京タワーとその先の東京湾 お台場







地上に降りればゴチャゴチャしているけれど
東京平野に広がる街は美しいと感じました

空は狭く星が見えないと聞いているけれどそんなことはなかった

東京はこんなに綺麗な街なんだ



2017.10.30.大畑 理博
東京近郊の方へ
演奏会のご案内です。



この度、声楽会員として在籍しております日本歌曲振興 波の会の記念すべき第一回目の定期演奏会に出演させていただくこととなりました。

今回演奏させていただくのは新作の独唱曲「友よ」と四重唱「きみはだれ」の二作品です。

「友よ」は、最近では若年性という言葉も聞かれる認知症になった近親者への手紙のような石川きんえつ先生のテキストに、内面の叙情を表すメロディーをお付けになった山﨑一繁先生の新作歌曲。

「きみはだれ」は夢の中で出会った“きみ”と未来を見るフレッシュな咲まりあ先生の詩と山本学先生の美しいハーモニーで紡がれた独唱曲としても逸品の重唱作品。


どちらも各世代の親しい人への想いを紡いでいる作品で、僕はちょうどその間に位置する年齢です。過去に思っていたこと、そしてこれから体験するであろう関係をどう演奏するか試行錯誤しております。

ご一緒するピアニストは尾崎風磨くん。
(音程と色彩との共感覚だそうなので自分の出してる音で色を汚しているのではないかと心配になってしまいます💧)

平日の夜となっておりますが、渋谷の会場に足を運んでいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いします。



2017.9.18.大畑 理博
実家にあるピアノがこの度、新築した次兄のお家に引っ越すことになりました。
もう30年以上の付き合いになるのかな。



元々は5歳上の次兄がピアノを習う際に展示場に行き選んだもの。
数ある一般的に普通と思われる黒いピアノの中にいて、相当異彩を放っていたであろう木目調のピアノ。
指一本ピロ~んって弾いて即決したそうです。

僕も大変お世話になりました。
小さなころは兄と取り合いもしました。
飼っていた猫が上に乗っかってたりして(笑)
野球や田畑仕事の後の泥だらけの手で触って怒られたこともありました。

一時期どうしても弾きたくない時期があって離れたこともありました。

その後、誰もが想像しなかった音楽の道に進むと決めた時、自分では覚えがないですがかなり練習したんだと思います。
母曰く6時間以上トイレにも行かずぶっ通しで無心で弾いてたこともあるらしいので。

楽しかったり、嬉しかったり、悦んだり、悔しかったり、歯痒かったり…時には苦しかったり。。。
色んな想いを共にしたピアノ。



僕が東京に行ってから長い休息に入っていたのですが、選んだ人のところに戻って違う場所で音を奏でてもらえると思うと幸せかな。
二人の甥が指一本でも良いから音を出してくれると嬉しいな。

ありがとう!!またよろしくね!!



2017.8.17.大畑理博
今日は父の3回目の命日


去年も同じこと思ったけれど“もう”のような“まだ”のような。。。
まだ一度も夢に出て来てはくれていません

父はお酒の飲めない人だったからもし一緒にこの時間に飲むとしても
僕は酒(ビール→ワイン)
父は炭酸飲料(サイダーとコーラ大好き、続いてファンタ、ラムネ、ジンジャエールかな…)
だったんだと思います

でも父は裂きイカとかのスナック系酒のつまみが大好きでした

っということで
コーラとビールで乾杯しつつ、買ってもらったピアノに触りながら父とのことを思い出すことにします

まずピアノで弾く曲は最後に聴いてもらった坂本龍一の「aqua」かな





2017.7.22.大畑 理博
昨日は地元 富山の演奏家の方々とご一緒させていただきました。
和気あいあいと楽しいプログラムではございましたが、音域がかなり広く一挙にバス~テノールまでこなしたんじゃないかと思います。

そして数年前に師匠がレッスンで何気なく仰った言葉の難しさを改めて痛感。

「クラシックは聴く姿勢を用意されてるでしょ?
ストリートであろうと興味のない人たちであろうと宴会、パーティー中であろうと
人を一瞬でも作業を止めて耳を傾けてもらう
そんな空気を満たして自分の空間にする“うた”を奏でないと!!」

これは本当に難しいこと。

ストリートミュージシャンで気になって足を止めることがありますが、彼らは上手いとか以上に何かを放っているんですよね。

僕ももっと満たすものを求めないとな。



2017.7.9.大畑 理博
「新いけばな主義」
http://bankart1929.com/archives/1777




横浜のBankART studio NYKまで来ました。
各流派の家元や理事、フローリスト、フラワーアーティストなど現代いけばなの作家さん27人による作品が広がっています。




今日は深谷正子と森重靖のパフォーマンスも拝見でき、ダンスとチェロといけばなという新しいコラボレーションに圧倒されました。




「いけばな」という概念は今回もいい意味で凄い勢いで揺るがされました。

以前、目黒雅叙園の展覧会の折に感じた疑問の一つの回答をいけばなで触れさせていただいた、古流かたばみ会家元の大塚理司先生にもお会いでき、とても腑に落ちる作品のオンパレードでした。

「新いけばな」と銘打っていますが、どこか本来の「いけばな」のスタンスに還っているという印象も受けました。



作品に触れるというより空間に一緒にいることで感じるもの。

外から内へ、そして、中へ、奥へ、また、外へ

静と動、活と死、こちら側と向こう側

いきたい衝動ととどまる理性

とても刺激の多い展覧会でした。



2017.6.28.大畑 理博
今年もリサイタルをさせていただくことになりました。
テーマは《ふるさと》で今回の副題は

~ふるさとがきこえる~




と致しました。
富山で生まれて18年、東京で暮らしはじめて18年。
ちょうど半分になってこれから“いってきます”“ただいま”はどちらに感じ言うのか。
そんな想いを抱きつつ、今回のプログラムは富山の民謡を基にした歌曲、富山県出身の作曲家 高階哲夫、幼少期を過ごした瀧廉太郎、在住の池田瑛子先生の詩をテキストにした作品などを軸にしています。

そしてこれから歌われることのない休校中の小学校、廃校になった中学校、そして高校の校歌と作品として取り上げて入れようと思っています。

ピアニストには同時期にやはり東京に出てきた高校の同級生の間部栄司くんを迎えます。

チラシ表面の写真は僕と同じ小中学区で育たれた、瓦職人で美しい写真を撮影される釈永聡さんからお借りした実家と小学校の間から見る、地元の風景です。
中央には実家も写っていたりして大好きな写真です。

富山でのリサイタル。
東京でもやりたいなと思っています。



2017.6.25.大畑 理博 拝
今年も咲きました
薫る白い花 クチナシ



昨年のリサイタルのテーマとなった「いのち」をうたった高田三郎先生の歌曲に合わせて購入したものです。
日もそんなに当たるわけでもないし、鉢植えだから今年はどうかな…と思っていたのですが、ほんのり薫る数輪の花が咲きました。
白い花が好きだった亡き父の誕生日ぐらいから一輪ほころび始めて、そしてまた一つと咲き始めました。

本当は定植がいいのだろうけれど賃貸だから、今年は思い切って剪定をして植え替えてみようかな。



2017.6.14.大畑 理博
今日は端午の節句

っということでブラブラしてたら鯉のぼりを発見!!

東京では歌にあるような♪屋根より高い♪大きいのはなかなか見られないけど、季節を感じられるものとしてなんだか嬉しくなるものです。


そして午後からは近所なんだけれどもなかなか会えないでいた、最近活躍中の大学のときからの大親友 佐藤容子とお茶しました。
入学して葉桜新歓(だっけかな?)のときからだから18年以上の付き合いになるけど、久しぶりなはずなのにいつも会ってるかのような感じです。



なんだろうこの安心感(笑)

常に連絡を取ってるわけでもないけれど、飾らないでいられる関係なんだよな。
お互い年を重ねて環境も変わったけれど、目指すベクトルというか感覚が似てるのか、それでも昔から変わらない何かがあって同じ空気感なんだろうな。

父親亡くなったり、Facebookで落ち込んでる様子を察知したときに真っ先に励ましのLINEくれるのは容子なんだよな。

そしてそんな容子から端午の節句ということで柏餅もらいました。


でも2人でケーキとかの甘いものも食べちゃう(笑)


そして分け合う。
これも昔から変わらない。


2時間ぐらいがあっという間の時間でした。

こういう関係って異性間ではなかなか珍しいのかもしれないですね。

20年後も変わらないんじゃないかなと思ったり。
別れるときもいつも一緒。
サラッと「またねぇ~」ですね。



2017.5.5.大畑 理博
桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命をかけて 我が眺めたり(岡本かの子)




桜の咲く前に岡本太郎の本を読んでいたら、上の歌を思い出しました

こんな思いで桜を見たことはなく、そこまでわざわざ赴くことは無かったので、そうか!!と思い今年はたくさんの桜を見る機会を得ました




どうしてこんなにも桜の花は人の心を動かすのでしょうか

昔から沢山の和歌短歌が詠まれています

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)


お先にと黙つて一枚の花びらが落ちて行くなり桜満開(奥村晃作)



もちろん近年はお花見というイベントと化した感は否めません

花を見ているのかそれを口実に集って飲んで騒いでいるだけなのか。。。

それでも人はその花に「スゴい!!」と感動を覚えます

そんなイベントに発展するほどの何かを知ってか知らずか桜はおごることなく毎年咲き散っていきます

桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰かも此処に 見えて散りゆく(柿本人麻呂)


ほんとうは桜は「咲くな」が本名ぞ 咲いたら後は散ってゆくだけ(田中章義)






いつから日本の花の代表のようになったのか…
色んな思いをめぐらせつつ来年もまた桜の花に出会えるように





2017.4.16.大畑 理博
実家が昔からお世話になっている地元 正覚寺さんのご紹介により、かなり歴史のある富山県小矢部市にある津梁山 願稱寺さんの本堂でコンサートをさせていただくことになりました。
四季のうたと仏教讃歌を中心のプログラムです。
ピアニストには大学時代からお世話になっている老月千晶さんです。


大畑理博 うたコンサート~むすぶ、つなぐ、ひろがる~

日時:2017年6月4日(日)14:00開演
会場:津梁山 願稱寺本堂(富山県小矢部市西中)
料金:入場無料
共演:老月千晶(ピアノ)
ふるさと、四季の歌、この道、生きる、ひかりあふれて、上を向いて歩こう 他



2017.4.16.大畑 理博
卒業を迎えたESPミュージカルアカデミー ミュージシャン科ヴォーカルコースのみなさんへ
(そして卒業はしなかったけれど平成27年度入学生のみなさんへ)

気持ちの良い晴れた日。
ご卒業おめでとうございます。
2年間の音楽を通した眼差しで過ごした学生生活はいかがでしたか?
様々な想いがありながらこの日を迎えられているでしょう。

皆さんとは1年次に全員が否が応でも受けなければいけない講義の授業を担当し、
また、一部の皆さんは実技も担当させていただきました。

授業を受けてくれて本当にありがとう。
僕が苦手だった人、嫌いだった人もいるでしょう。人間だもの。
それでも心からありがとう。

皆さんには色んなことを見て欲しくて、聴いて欲しくて、覚えて欲しくて、知って欲しくて…様々なことを言ったように思います。
あぁ全然興味ないし…ということだったかもしれない。
何回も同じことマジうるさいな…と思うことだったかもしれない。
そんなの知らないし…というものだったかもしれない。
わけわかんない…だったかもしれない。
いつしか直面する何かを感じ取って欲しい!!という僕のエゴだったのかもしれません。

この場を借りてごめんなさいm(_ _)m


そして様々な理由により卒業されなかったみなさん。
その後は変わらずに元気にしていますか?
音楽や歌はどうされていますか?やめた方ももちろんいるでしょう。
それでも心のどこかに気持ちが声になって、気持ちと重なって鼻唄が生まれ出てくれたら、それは音楽が芽生えた瞬間です。
そういうものがこれからずっと残ってくれるだけで僕はとても嬉しいです。

このご時世にたくさんある選択肢の中からESPに入学したことは、これからのみなさんにとっての何かしらのきっかけであり通過点であり、これからの糧になる時間であったのだと思います。
今はその感覚でなくても構いません。
いつしか思い出してくれるだけで嬉しいです。


☆僕からみなさんへのメッセージ☆




池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添ってるよ
私達がこんな風であれたら…

この歌詞から始まる「to U」という楽曲を授業で扱ったのを覚えていますか?
池の水になりたいのか…空の蒼になりたいのか…それとも水鳥になりたいのか…僕はそれらを問いながら生きています。
光そのものになりたいと思ったこともあるし、それにずっと照らされるものになりたいと思ったこともある。
影はマイナスイメージだけれど、それらがないといけないこともある。



矛盾なく寄り添うことは日常に溢れているのに、どちらか決めなければならないときがあるかもしれません。
難しい選択を強いられたとき、人は悩み、たじろぎ、戸惑います。
けれどもその“こたえ”そのものは必然に自分の奥底では決まっていることもあるかもしれません。

これから生きていく上で選択をすることが増えていきます。
結論や結果ばかりを追い求めすぎず、自分の納得できる矛盾のない“こたえ”が導き出されることを祈っています。

応援しています!!!



2017.3.22.大畑 理博
僕は田舎育ちでもありますが

キレイだからと山から百合など色んな花を引っこ抜いて持ち帰ってきては庭にランダムに植えちゃったりする祖父(父方)

三本仕立てや懸崖とかの鑑賞菊を徹底的に拘りながら町の文化祭まで出展して賞とか取っちゃう祖母(父方)

小さなころ遊びに行って庭で遊んでたときにポキッと折ってしまった鈴蘭を大事そうに持たせてくれた祖父(母方)

パイナップルリリーという当時衝撃だった花が欲しいと駄々を捏ねてたらスーパーの袋に株ごと持たせてくれた祖母(母方)

洋シャクを庭に植えてたなと思ったらウチョウランの交配を始め息子が東京にいるから東京ドームに色んな花の展覧会を見にきてしまっていた父

生花をはじめ四季折々の自然花や茶花をどれだけの種類の花を知っているのだろう…と思ってしまう母

そんな家族に恵まれてなのか昔から好きで
様々な花の咲きはじめる今の季節にワクワクして
段々と家には花が増えています(笑)



【人はなぜ花を愛でるのか】
という壮大なテーマの本も読みはじめましたが人はなぜこんなにも花と関わるのでしょうか

嬉しくても
哀しくても
プレゼントとして
手向けとして
自分に



2017.3.17.大畑 理博
本日ご来場いただきましたみなさま
そして
温かいメッセージをいただきましたみなさま
誠にありがとうございましたm(_ _)m



3.11という日にうたえて
本当に良かったと思える日でした



「うたうこと」への意味を最近ふと思うことがあるのですが、そういうのはどうでもいいことだということもわかった気がします

とにかく
うたうことは生きることの証
呼吸と同じでやめてしまったら死んじゃうかもと思いました(笑)

もしその理由を考えるなら
いつか必ず来るであろう私のいのちを終えるときに初めて考えればいいことなのかもなと思いました

これを胸にまた“うたうこと”と共に生きたいと思います



2017.3.11.大畑 理博

理由なく私はまたうたうでしょう終焉になるそのときまで
僕の地元 富山県中新川郡立山町新瀬戸地区、実家から歩ける距離のところに在住、そして出身の画家、瓦職人、書家などたくさんの芸術を重んじる方々がいらっしゃいます。

その中で際立っているのが「新瀬戸」という地域の名前にもなるぐらい歴史の深い陶芸家のみなさんです。



その陶芸家5人が数年前にお集まりになって結成された“かなくれ会”の新宿での初めての展覧会を拝見するため伺ってきました。

庄楽窯 釋永由紀夫さん
釋永陽さん
四郎八窯 加藤聡明さん
千寿窯 吉野香岳さん
枯芒ノ窯 北村風巳さん

全員の陶芸家が在廊なさっておりましたが、皆さん纏っていらっしゃる空気感が“新瀬戸”そのもので、新宿にいながら地元に帰ったような気持ちになりました。


それぞれの個性が存分に発揮されている作品を拝見していると、感嘆させられるとともに烏滸がましくも不思議と嫉妬心というか憧れというか…。

芸術を為す者は嫉妬する…まさにこれです。

僕は音楽という瞬間的にその空間に放たれるものを自分を通して振動させて表現しているわけですが、陶芸家の皆さんは土からおつくりになり、生み出してからずっとその空間に存在する表現をされている。
それは日常の生活に使用されるもの、茶事に使用されるもの、鑑賞されるもの、用途は様々だけれどもまさにどこにいてもそこに存在する。

変化するという意味では同じだけれども、音楽のようにその一瞬の空間だけを満たすわけではない、煌めきと輝きに翻弄され満たされ揺さぶられ…羨ましいという気持ちで一杯になりました。



2017.2.26.大畑 理博
本当にいつぶりだろう…と思うほど久しぶりに
たまたま時間が出来たので
当てもなくゆっくり時間の流れるままに
上野をブラブラしてみました





師匠ありがとうございます

通学途中の公園や学舎にも行ってみて
ちょっとだけ初心に帰った感じもしたけれど
何も考えないでもドキドキワクワクしていたあの頃とは何かがだいぶ違うかな



受験戦争に終止符を打ってから
何年か通うことにはなったのですが
上京したころはその余裕はなく
在学中はそんな興味もなく
卒業してからは上野という地からも遠ざかり
たまに行くときはスケジュールの合間で…

っとゆっくり歩き回ることは無かったからか知らないことだらけでした

公園は整備がされてかなり綺麗になり
あったものは無くなり無かったものが出来ており

風景にはカフェやスカイツリーまで増えている
でも上野動物園や西郷さんはそこにいらして



学校に行くには公園口側がほぼだったのですが
飲み会とか現実逃避というサボりとか(笑)のときにただ通るだけだった袴腰広場には大寒桜が咲きはじめていました



時期が来たら思うがまま
ここぞというとき咲くんだもんな

こういう時間をちゃんと作らないと
感情とは違う感覚?五感の幅?みたいなものが
枯渇するのかもしれないと思った日



2017.2.19.大畑 理博
今日は36回目の誕生日でした
たくさんの方からSNSやLINE、messenger、メールなどお祝いのお言葉をいただきました
幾つになっても嬉しいことは変わりないです


感謝を忘れたことはないけれど、この歳になってもふと母からお祝いの電話がきました
お互いに歳をとりましたね(笑)という会話はここ数年の普通となりましたが、携帯電話の音質が毎度向上されているのか、余計にはっきりと声が聞こえてくるわけです
そのおめでとうの言葉の声の成分は、僕を含め息子たちの「母」から、孫たちの「おばあちゃん」に近付いたなぁとつくづく思いました
それは老いではなく穏やかな歳の取り方をしてきた声でした


今回の36という歳は富山で生まれて育って18年、それから東京に出てきて18年
ちょうど半分の歳となりました
富山出身東京在住になれましたが、東京のほうが長くなることに突入していくということで、少し立ち返ってもいいのかなと思っています


専門学校の後期試験問題に
「“うたうこと”とは何か?」
というものを学生に問いました
とても難解な問題だったろうと思います
“うたうこと”は難しくもあり簡単でもあります
「僕はここですよ!!」と胸を張って【うたうこと】ができたら。。。
そしてそれらを超えて、大好きな詩人の谷川俊太郎さんが武満徹のソングて仰っている【うたうだけ】と言えるよう精進していきたいと思います
どうぞよろしくお願いします










(写真は現在から遡ってみました…みなさんが僕と出会ったのはどの辺ですか?途中18年ほどブランクありますが抱っこしてるのは父と祖父)



2017.誕生日.大畑 理博 拝
箱根に行ってきました
毎年この時期に伺っています

そこに変わらずにあることの恩寵
年月が何かを形作る物語
刻一刻と必ず移ろって行く宿命

そんなものに触れたかもしれません



太陽はあって
深く空が広がり
雲は輪廻転生を繰り返す
湾に沿って海は漂い
山は隆起して
湖は水を煌めかす

風はどこまでも自由で
木々はそれに従う
雪は水と氷を行き来し
土も石も呼応する

ヒトは作った
大きなものを抱いて
後から追いかけるように
前からあるものに導かれて

時は一定に自らを刻む
肯定も否定もせず
容赦はない
残酷なまで
すべてが平等に
時を経験する

いのちは寄り添う
呼吸するように



2017.2.8.大畑 理博
僕の“とにかくうたいたい”という衝動から生まれたこの企画、今年も開催させていただくこととなりました。



ライヴなのかコンサートなのかはどちらでもよく、クラシックなのかポップスなのかも関係ない大畑理博による“うた”をお送りします。

今回は「半分」をクローズアップします。
何が半分かというと、東京に出てきたのが18年前の1999年。
生まれてから地元の富山に18年、大学の進学のため上京してきて18年。
本当に長かったような短かったような。
うたうのと並行して教えるという仕事を始めたのも大学一年生の時。
うたうのか?教えるのか?みたいな時期もありましたが、どちらもやったらいいじゃないかと思うようになれました。

四季や時の流れというものを感じさせる楽曲
そして
僕ならこうするかな?という生徒さんたちのレッスン楽曲
この2つをコンセプトにお送りします。

共演は昨年、演奏会でご一緒した若手のピアニストの尾崎 風磨くんをお迎えします。

いつもこんな企画に快く賛同して下さる、各線四ッ谷駅から3分ほどのところにあります四ッ谷 SOUND CREEK doppoさんにて今回も行わさせていただきます。
もしお時間よろしければ足をお運びいただければと思います。
よろしくお願い致します。

まだまだ寒い日が続きます。
どうぞご自愛ください。



2017.1.25.大畑 理博
智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ

あどけない話/高村光太郎


「智恵子抄」の中の印象的な詩ですが、この後も続いていきます。

毎日見上げていると光太郎とは違った視点から、東京の空はきれいなんじゃないかと思うことが最近増えてきました。

僕が育った田舎では考えられない空が東京に広がっている気がします。

宙に浮く通路があって建設途中でなければ見られない空。


生活の中に地下鉄の出口がなければ見上げない空。



あった建物が壊されてまた見えてきた空。


そしてそこに建物があるからこそ見える空。




何が本当かの考える余地があるにせよ、僕には美しく見えてくる空があります。
東京だからこそ。



2017.1.17.大畑 理博
新年明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
皆様にとって良き年となりますようお祈り申し上げます


2017年、平成29年は酉年ということで年男となります。

決して24歳ではなく一回り先を行くことになりますが、もう急ぐことはなく、それでも止まることなく、前を向いて入られたらなと思います。

僕の実家の敷地内に神社が立っております。
そこには曾祖父が書いたものがありました。
先祖たちの36歳はどんなものだったのだろうと想いを馳せつつ。



2017.元日.大畑 理博 拝
2016年、平成28年がもうすぐ終わろうとしている朝です

でも「大晦日」のはじまりであり、
2017年、平成29年に向かっていく朝です

「晦日(みそか)」は
「みそか(三十日)」と書き
「月の三十日目」を意味していたが転じて月末を表すようになり
「大晦日」はその後年内で最後の晦日
「年神様(としがみさま)」を迎える新年行事
になったそうですよ!!

毎年この文章を見るまで『大晦日ってなんだっけ?』と思ってしまいます(笑)
はじまりの日とおわりの日の境目のワクワクドキドキする日と覚えておけばいいのかもな
毎年この大晦日はその年を振り返りますが
終わるような…始まるような…不思議な気分になります
常にスタートを切っているような
そしてゴールを目指しているような

夏のリサイタルで
【いのちとはただ 待ちぼうけのことではないか】
とうたいました
待ちぼうけはどちらのベクトルなのでしょうね
こちらが向かっていくのか
向こうからやってきて迎え入れているのか
良いお年を!!はどちらなんだろう。。。

本年もこちらの投稿では「いいね!」や「メッセージ」を賜り、誠にありがとうございました
来年もどんな年になるのか本当に楽しみです
こんな愚生ではありますが、変わらずどうぞよろしくお願い致します
それでは良いお年をお迎えください



2016.大晦日.大畑 理博 拝
季節の移り変わりを五感で吸収したい

自然と人工が作るそこにある色彩を観たい

とにかく感じたい!!

そんな思いから駒込にある“六義園”に行って来ました
ライトアップが開催されている時期ということで、夜に仕事のない日に行ってまいりました



自然の色彩が
照明によって変化する



自在に柔和に誇示しながら
水鏡に写ることが許され
風が吹けば樹々も揺れ水面も揺れ
輝きと翳を作り出す


















当たり前のことではあるけれど
それは現代の照明によって為されたこと
月が出ていなければ観ることの出来ない世界



2016.12.1.大畑 理博
学生のころからお世話になっている声楽の師匠 黒田博先生のリサイタルに赴きました。
それはまさしく“匠の師”そのものでした。

感想は言葉にするとなんだかとても安っぽく浅い感じがするのでやめます。
ただ、カッコ良かった!!




先生は普通に演奏されていたんだと思います。
ただ受け取り側の僕の心位置の問題だったのか、全編を通してメッセージのようなものを感じました。
怒られているとか説教されているというようなものとは違っていて、諭されているような導いてくださっているような。

“一度元に戻れ”と黒田先生と出会った19歳のときに還されるようなそんな感覚でした。

(出来の悪い生徒でしたので先生の内心がどうだったのかは知る由もありませんが)
実際にレッスンのときに怒られたり…説教されたり…ということは一度もありませんし、そのようなことは仰らない穏やかな先生です。
それなのに毎回のレッスンやお話させていただく中で、ストンと音を立てて中に入ってくる果てしない真実を仰います。

それは音楽を通して、それは声を通して、それは言葉を通して、それは舞台姿を通して、
最近わだかまっていたものへの問いと気付きを内側に放ってくださった時間でした。

初めのレッスンで「造花になれるといいのかもしれない」と仰ったころに還っているような。



2016.11.26.大畑 理博
前まであれだけ毎日飽きないでやっていたのに最近全然やってないなぁ…

って皆さんにはありませんか?

僕は“自炊”

上京して15年以上も続けていたのにパタッとやめていました
それは新しいところに引っ越してからガスコンロではなくIHコンロになったのとなんとなくなんとなく面倒になったなどの理由なのですが。。。

っということでまた復活しました“自炊”

まず簡単なところからというのと新ジャガをいただいたので、材料がほぼ同じの
【カレー】と【肉じゃが】
やっぱり楽しかった
好きみたいです料理が(笑)







アレンジ加えたりしながらもですが、もっと様々なものを作ろうかなと思ってます







2016.11.6.大畑 理博
本年も無事に伺って参りました
奥秩父にある三峯神社へ
御眷属をお返しし新しいものを拝借に





昨年も凄いところだなと思いましたが今年もかなり思わされました



歩いていると思い出した詩がありました
どこかから引き出されたみたいです
とても優しい詩です

【空気】
花のまわりで 花の形
ボールのまわりで ボールの形
ゆびのまわりで ゆびの形

そこに ある物を
どんな物でも そこにあらせて
自分は よけて
その物をそのままそっと包んでいる
自分の形は なくして
その物の形に なって…

まるでこの世のありとあらゆる物が
いとおしくてならず
その ひとつひとつに
自分でなってしまいたいかのように
(まどみちお)



そして僕の頭の中に浮かんだ言葉たち

【包まれている】
わたしたちは包まれている
何かに包まれている
それは目に見えるものかもしれないし
そうじゃないかもしれない

そこに立ってごらんなさい
何かに包まれているでしょう
それは動いているものかもしれないし
止まっているものかもしれない

目を瞑って見てみましょう
耳を塞いで聴いてみましょう

触れても
突いても
投げても
握っても
叩いても
抱いても

ほら
やっぱりあなたは包まれている
(大畑 理博)









2016.11.2.大畑 理博
この度、声楽会員として在籍しております創立50周年を迎えました日本歌曲振興会 波の会の秋の定期演奏会に出演させていただくこととなりました。

今回演奏させていただくのは新作の「降る雪に」。
作詩は以前、歌集も読んだことがある石川出身の高原桐先生。
作曲は北海道在住の精力的に活動されている江尻栄先生です。

“雪”をテーマに高原先生の石川、江尻先生の北海道、そして僕は富山ですので、それぞれ日本の雪国ではございますが、地域によってどこか違う“雪”。
それらに思いを馳せながら、故郷を思うそれぞれの“雪”が表現できたらと思っております。





2016.9.17.大畑 理博
【富山県近郊在住の皆さまへ】

TOYAMAヴォーカルソレイユさんに誘っていただきましてイベント

『第29回 2016となみ夢の平コスモスウォッチング』




10月15日(土)にご一緒させていただくことになりました。
これまで向日葵畑はありましたが、一面のコスモスに囲まれてうたうのは初めてです!

夢の平スキー場のかなりの数のコスモスは圧巻で有名ですが、今回初めて伺わせていただきます。
花好きの僕としては楽しみで仕方ありません!!
是非とも晴れて欲しいなと思っています。

三連休中日で運動会など様々に予定があるかと思いますが、もしお時間がございましたら色とりどりのコスモスを楽しみつついらしてください。



(最後に…夢の平でスキーをしたことはありません…)



2016.9.14.大畑 理博
ここ最近は何をしていたかというと
なんだかずっと空を見ていた気がします

それは東京で
それは富山で

それは朝で
それは晝で
それは夕で
それは夜で

それは楽しいとき
それは哀しいとき
それは嬉しいとき
それは悔しいとき

ソロリサイタルを終えて
感情の起伏が激しくなっていたのかもしれません

空は何も変わらない

雲は流れ出来は消えて
太陽は昇って降りて
星は速く動き遅く輝いて
そして月は満ちて欠けて

変わるものと変わらないもの

それをただ自分と重ねて
見ていたかったのかもしれないです



2016.8.30.大畑 理博
今日で父の2年目の命日となりました。
日曜には三回忌の法要も終わりましたが、「もう」なのか「まだ」なのか、フワフワと実感のないわからないままの状態でいます。

ただ、ふと淋しいものが込み上げてくるのは事実です。

さてこれはいつまで続くのでしょう。
故人というのは頭の中に変わることなく留まり、思い出が幾多募っても過去であって現在にはなく、生きている者たちだけの時間がただ過ぎて、進んでいるような残されているような。
だから忘れるものは無く、より濃くなっていくものなのかもしれません。


先日のリサイタルで自分の言葉をテキストに、声楽作品にしていただきました。
《想い》という形の無かったものが言葉として“文字”になり、そして形を変えて“音”になった時の、あのなんとも言えない気持ちは味わうことがなかなか無いように思います。
まさに飾り気もないただの戯言の塊のようなものでかなり稚拙ではありますが、それを紹介したいと思います。

鳥井俊之先生が作曲してくださった『故郷に』という作品は、逝去の連絡をもらってから2ヶ月間ほどの、ずっと巡っていた出来事や心情を組み合わせたものです。今思えば、とにかく紛らわせるために、溜まるものの行き場として文字にしていたのかもしれません。

『故郷に』大畑 理博
・力なく指からはらり落ちる切符 泪とともに拾う 震える
・母の背の向こう側に父の遺影「今日もおんなじ顔してますね」
・眼を閉じた冷たき父に還すもの 僕の頭に残された声
ー通夜後にー
・仏とか星とか風にならないで その肉体と魂のままで
・父よ父 自らの血を献り 治らぬ病 何故と問うたか
ー式準備にてー
・変わらずにそこに貴方がいらっしゃるそう思っていた額になるまで
ー火葬後ー
・墓に入る前の骨壺持ち抱く時 その重みはまさしく父
ー「千の風になって」を歌ってー
・星となり 光となり 風となり 残像の亡父 ただうたとなる
ー「故郷」の二番からー
・如何にいます父母 と歌えば亡き父の姿はより鮮明に
・「ひろ」と呼ぶ頭の中に声はあり これを外には出せないものか
・木々たちよ夕の光を吸い込むな 時の経つ淋しさ込み上げる
・雨に濡れていたいと希う夜でした 親不孝の躰浄める為
・爪を切るその行為にも父の跡 かなり深爪 爪痕痛し


父は《いのち》というものを大切にし、とても愛でていました。
それは季節の移ろいや行事であったり、自然現象であったり、機器や道具であったり、もちろん生物であったりと、豊かに生きていく上での《いのち》に関わる全てのものだったように思います。
その一つであった花と父の姿とを重ねた言葉を、德永洋明先生が『花の命』という作品を作曲してくださいました。


『花の命』大畑 理博
・花盛り 生きようとするそのはなに 覚悟というを教えられ 散る
・われはここ カメラのピント 花にあり 風に揺れてもおさまるは君
・潔く音を立て終え逝くさだめ 紅い椿に永久の眠りを

そして一部の最後に歌った「くちなし」という高野喜久雄 作詩、髙田三郎 作曲の作品。
今年初めて東京の家と実家に梔子を購入しました。
東京のものは八重に咲くもので花と香りを愛でました。
実家のものは一重でしたのでこれから実がつくのでしょうか。



くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
(高野喜久雄 「くちなし」より)



2016.7.22.大畑 理博 拝